<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<feed xmlns="http://www.w3.org/2005/Atom">
    <title>歯科医師 歯科衛生士 歯科技工士の求人（採用・募集） 東京 南青山デンタルクリニック</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.mdcshigoto.com/" />
    <link rel="self" type="application/atom+xml" href="http://www.mdcshigoto.com/atom.xml" />
    <id>tag:www.mdcshigoto.com,2009-03-09://1</id>
    <updated>2011-04-29T14:37:51Z</updated>
    <subtitle>南青山デンタルクリニック（東京都港区）の採用情報のサイト。歯科医院の求人ホームページ。歯科医師、歯科衛生士、歯科技工士、歯科助手を募集しています。</subtitle>
    <generator uri="http://www.sixapart.com/movabletype/">Movable Type Pro 4.24-ja</generator>

<entry>
    <title>人間万事塞翁が馬</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.mdcshigoto.com/rinen/shiawase/saiohgauma.php" />
    <id>tag:www.mdcshigoto.com,2010://1.57</id>

    <published>2010-01-09T08:04:30Z</published>
    <updated>2010-02-01T06:09:25Z</updated>

    <summary>人間は、ある程度満たされている時には足りない物を捜して不満を感じて、逆に、満たされていない時には、ありふれた幸せに敏感になるのではないだろうか？</summary>
    <author>
        <name>mdcshigoto</name>
        <uri>http://www.mdcshigoto.com/mt/mt-cp.cgi?__mode=view&amp;blog_id=1&amp;id=1</uri>
    </author>
    
        <category term="050020)幸せになりたい" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="仕事" label="仕事" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="幸せ" label="幸せ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="感謝" label="感謝" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.mdcshigoto.com/">
        <![CDATA[<div class="usr_paragraph_all"><p>人間は、ある程度満たされている時には足りない物を捜して不満を感じて、逆に、満たされていない時には、ありふれた幸せに敏感になるのではないだろうか？</p> <p>人の欲求は満たされることはありません。<br /> &nbsp;もっと欲しいという気持ちになれば、どんなものでももっと欲しくなります。<br /> &nbsp;皮肉な事に、ある程度足りていると、ない物ねだりで足りない物を捜し、全然足りない時には、普通である事で幸せを感じます。<br /> &nbsp;人間にとってどちらが幸せなのか分らないです。</p> <p>人間の幸せには、感謝の気持ちが不可欠です。<br /> &nbsp;感謝するとは幸せを感じると同じ事ですから、たくさん感謝できる人間がたくさん幸せでもあるのです。<br /> &nbsp;満たされ始めると「もっと」を追及してしまう人間の性は、どうすれば解決できるのでしょうか？<br /> &nbsp;私の考えでは、目に見える物に惑わされない自分の価値観を持つことではないでしょうか？</p> <p>「人間万事塞翁が馬」ということわざがありますが、目の前で起きている現象は幸せとは関係がありません。<br /> &nbsp;幸せだと思っていた事が不幸の始まりだったり、ついていないと思っていた事が、幸せへのチャンスだったりする事はたくさんあります。<br /> &nbsp;同じ出来事に対しても、幸せだな、ついてるな、チャンスだなと前向きに思える思考回路を持つことが幸せへの近道ではないでしょうか？</p> <p>人は方向性が見えていて、出来事の意味と価値がわかれば前向きになれます。<br /> &nbsp;１つ１つの意味と価値を見つけるためには、いろんな事に対して「何の為に&hellip;&hellip;」に対する自分なりの答えを見つけていくことのように思います。</p> <p>自分が仕事をするのは何の為だろう？<br /> &nbsp;何の為に生きているのだろう？<br /> &nbsp;何の為に今の職種についているのだろうか？<br /> &nbsp;何の為に掃除をするのか？<br /> &nbsp;自分が幸せを感じるのはどういう時だろう？それはなぜだろう？<br /> &nbsp;&hellip;&hellip;&hellip;&hellip;</p> <p>人間は多くの部分を視覚で判断しますので、目の前の現象に惑わされないという事はとても難しい事かもしれませんが、「星の王子様」の本の言うとおり物事の本質は「大切なものは目では見えない」のですね。<br /> &nbsp;他人がなんと言おうと、目では見えない価値を自分の中で確信している時には、幸せを感じられるのではないでしょうか？</p></div>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>自分が変わろうとする人vs他人を変えようとする人</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.mdcshigoto.com/rinen/shiawase/jibunvstanin.php" />
    <id>tag:www.mdcshigoto.com,2010://1.59</id>

    <published>2010-01-09T09:07:13Z</published>
    <updated>2010-02-18T08:00:28Z</updated>

    <summary>自分のほうが変わろうとする人間は、いつかは必ず幸せになりますが、他人を変えようとする人間は、その時点から不幸がついて回ります。</summary>
    <author>
        <name>mdcshigoto</name>
        <uri>http://www.mdcshigoto.com/mt/mt-cp.cgi?__mode=view&amp;blog_id=1&amp;id=1</uri>
    </author>
    
        <category term="050020)幸せになりたい" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="努力" label="努力" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="幸せ" label="幸せ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="成長" label="成長" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.mdcshigoto.com/">
        <![CDATA[<div class="usr_paragraph_all"><p>世の中には幸せな人間とそうでない人間がいます。<br /> &nbsp;その2種類の人間のどちらになるかの違いは、その人が「自分が変わろうとする人間」であるか「他人を変えようとする人間」であるかの違いのように思います。</p> <p>自分のほうが変わろうとする人間は、いつかは必ず幸せになりますが、他人を変えようとする人間は、その時点から不幸がついて回ります。<br /> &nbsp;他人と過去は変えられません。<br /> &nbsp;その変えられないことを、一生懸命変えようとするのですから、永遠にその人の心が満たされることはありません。</p> <p>常に何かしらの不平不満で一杯になります。<br /> &nbsp;その人が、自分が変わろうと気づくまで不幸は続くのです。<br /> &nbsp;他人を変えようとすることは、言葉を換えれば、「自分は一切間違っていない、自分は絶対正しい」ということなのです。</p> <p>「自分は間違っていない、自分は正しい」と思うこと自体は有害ではないと思います。<br /> &nbsp;しかし、それがエスカレートして、だから相手が変わるべきだと自分の価値観を強要することは、間違っていると思います。<br /> &nbsp;相手が変わるかどうかは、その人自身が気づくまで変わらないのです。</p> <p>多くの物事は、一方が１００％悪いということはありません。<br /> &nbsp;どちらかがより悪いという比較の問題で、どっちのほうがより正しいかという基準で判断されてしまいます。</p> <p>「泥棒にも3分の道理」ということわざのように、泥棒でさえ自分の言い分があるのです。<br /> &nbsp;そんな時に、相手がどんなに悪くて、どう変わるべきかを延々と説教しても何も変わらないのです。<br /> &nbsp;どんな時でも相手を非難、攻撃する代わりに、自分の成長のために改善できることがあればそれを取り入れていくことが幸せへの近道なのだと思います。</p> <p>相手を変えようとする努力を、自分が変わることで自分が成長すればいいのです。<br /> &nbsp;相手も、本気で幸せになりたいと思った時に、他人を自分の価値観に変えようとする行為の無意味さに気づくのです。<br /> &nbsp;他人を変える労力を自分が成長する方向に向け、その無言の後ろ姿に相手が何かを感じて、その人が自主的に変わっていくというのが、ベストのいい循環なのだと思います。</p> <p>相手が変わるかどうかは、その人が気づくかどうかの問題なので、雨の日を無理やり晴れさせようと努力することと同じぐらい無意味なことなのです。<br /> &nbsp;自分が幸せになりたければ、自分のほうがより成長、改善していくことだと思います。<br /> &nbsp;そういう人間が増えていくことで、社会が平和でみんなが住みやすい世の中になってくるのだと思います。</p> <p>日本の今の時代の流れは、このま逆に進んでいるように感じるのは、私だけでしょうか？<br /> &nbsp;私も幸せになりたいので、自分の方が変わるように頑張ります。</p></div>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>心にもない事を言おう</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.mdcshigoto.com/rinen/shiawase/kokoroninai.php" />
    <id>tag:www.mdcshigoto.com,2010://1.60</id>

    <published>2010-01-09T10:01:36Z</published>
    <updated>2010-02-18T08:06:49Z</updated>

    <summary>「心にもない事を言う」と聞くと偽善者、いい加減な人、といった悪いイメージを持つのではないでしょうか？</summary>
    <author>
        <name>mdcshigoto</name>
        <uri>http://www.mdcshigoto.com/mt/mt-cp.cgi?__mode=view&amp;blog_id=1&amp;id=1</uri>
    </author>
    
        <category term="050020)幸せになりたい" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="幸せ" label="幸せ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="思いやり" label="思いやり" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.mdcshigoto.com/">
        <![CDATA[<div class="usr_paragraph_all"><p>「心にもない事を言う」と聞くと偽善者、いい加減な人、といった悪いイメージを持つのではないでしょうか？<br /> &nbsp;私の例でいいますと、私が開業当初赤字で大変な時に、「頑張れよ」「早く軌道に乗るといいね」と知り合いに言われた時に、ひねくれていた私は「この人は本当に本心でそう思っているのだろうか？」「人のことを本当に心配してくれているのだろうか？」と疑心暗鬼になったものです。</p> <p>また、友人の結婚式で泣いている人を見て、自分が結婚していて幸せな人は分かるが、自分が結婚していなかったり、彼氏がいない人は「本当に心からおめでとうと言っているのだろうか？」と斜に構えた見方をした時期があります。<br /> &nbsp;私の中で、長い間、心にない事を言う人は、心にない事は言わない人以上にずるい人だと思っていました。</p> <p>そうして長い時間がたって、私の中で、心にない事を言う人は、心にない事は言わない人よりも立派な人に変わってきました。<br /> &nbsp;と言いますのも、心に思わなければ言ったらいけないとなれば、人間的に成長するまで、相手を思いやる言葉を言えなくなります。<br /> &nbsp;心にあろうとなかろうと、口に出すという行為に意味があると思えてきました。</p> <p>心にもない事を言う人には２種類あります。<br /> &nbsp;相手から何かをしてもらおうと思って、心にもない事を言って点数を稼ぐ人と、今は心にもないけど、いつかは心からそう思えるように成長しようと思って、相手を思いやって頑張って発言している２タイプがあります。</p> <p>前者の様な、自分のメリットの為に心にもない事を言う人は、偽善者ですが、いつかは心からそう思いたいと思いながら、相手を思いやる言葉を言う方は、時間がたてば、必ず心からの思いやりの言葉が発せられます。<br /> &nbsp;心が先か言葉が先かと言われれば、多くの凡人はまず言葉を先に思いやりと愛に満ちた言葉にしていく事が大切だと思います。</p> <p>心にないという言い訳で何も言わないよりは、例え心に思っていないとしても「ありがとう」といえば相手は嫌な気持ちはしないものです。<br /> &nbsp;まずはいい言葉を習慣にして、気持ちは後から追いかけていくと信じる事で、時間がたって気付いた時には、成長している自分に気付くのではないかと思います。<br /> &nbsp;そして言葉に伴って、心が後からついてきて心と言葉が一致した時には、相手が感動するような言動が出来る人間になれるのではないかと思っています。</p> <p>私自身、まだまだ、言葉と心が一致していないので、その境地は想像でしかありませんが、いい言葉を習慣にして、他人を思いやれる人間になれれば、日々の幸せが増すのであろうなと思っています。</p></div>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>否定しない生き方</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.mdcshigoto.com/rinen/shiawase/hiteisinai.php" />
    <id>tag:www.mdcshigoto.com,2010://1.61</id>

    <published>2010-01-10T01:08:25Z</published>
    <updated>2010-02-18T08:15:36Z</updated>

    <summary>「私はどうして他人の意見を素直に受け入れられないのだろうか」と自分で反省してしまいます。</summary>
    <author>
        <name>mdcshigoto</name>
        <uri>http://www.mdcshigoto.com/mt/mt-cp.cgi?__mode=view&amp;blog_id=1&amp;id=1</uri>
    </author>
    
        <category term="050020)幸せになりたい" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="他尊心" label="他尊心" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="幸せ" label="幸せ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="自尊心" label="自尊心" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.mdcshigoto.com/">
        <![CDATA[<div class="usr_paragraph_all"><p>「私はどうして他人の意見を素直に受け入れられないのだろうか」と自分で反省してしまいます。<br /> &nbsp;それが本能であって、それを克服する事が幸せになるヒントでもあるように思います。<br /> &nbsp;人の話、新聞、ＴＶからの情報、政治家の方針&hellip;&hellip;&hellip;<br /> &nbsp;何かの情報が頭に入ると「でも&hellip;&hellip;」といったん否定してから自分の意見が頭をよぎります。</p> <p>尊敬には自尊心と他尊心がありますが、多くの人にとって、自尊心は自然に持つことができますが、他尊心は自分で意識しないと持つ事が出来ないのではないでしょうか？<br /> &nbsp;他人の意見や考え方を否定する事は簡単です。<br /> &nbsp;完璧な意見や方針などありません。<br /> &nbsp;どんなものでも例外や欠点は捜せます。重箱の隅をつつこうと思えば必ずつつけるのです。</p> <p>相手を否定して、どんなに自分が正しいかを言葉にすればその瞬間の気分は良くなります。<br /> &nbsp;しかし、否定された相手はいい気分がしませんし、自分の中でも時間がたってくるにつれ、気分がすっきりしない場合の方が多いのではないでしょうか？<br /> &nbsp;心の中では、相手を否定している自分を好きになれない愛に満ちた自分も存在しているのです。<br /> &nbsp;競争、競争で育てられた学生時代を過ぎて社会人になっても、それまでの名残りとして、人と比べる生き方を無くすことは難しいのです。</p> <p>人と比べる生き方をすれば、自分が上がるか、相手が下がるかのどちらかになります。<br /> &nbsp;自分が上がるのは大変ですが、他人を下げる事は簡単です。<br /> &nbsp;こういう心理が働いて、無意識で相手の足を引っ張ったり、相手を否定する発言をしてしまうのではないでしょうか？</p> <p>長い時間かけて身についた悪い癖は、同じぐらいそれを取り除くのに時間がかかります。<br /> &nbsp;競争自体を否定して、運動会で順位をつけないとかいう事は賛成できませんが、競争と同じくらい協調を大切にして生きていく事が、幸せになる為には不可欠な事のように思います。<br /> &nbsp;そういう意味で、他尊心を育む一番の方法は、普段の日常において、他人や周りの状況を否定しない生き方ではないかと思います。</p> <p>何かを言われて「でも&hellip;&hellip;」と否定する習慣を「そうだよね。そういう意見もあるし、こういう意見もあるよね。&hellip;&hellip;」とまずは相手を受け入れる習慣に変えていきたいと思います。<br /> &nbsp;「自分が自分が&hellip;&hellip;」という人は間違った自尊心が強い人です。<br /> &nbsp;「どうせ私なんか&hellip;&hellip;」という人は間違った他尊心が強い人です。</p> <p>心が平和で幸せな人は、自分も素敵だが他人も素敵という、自尊心と他尊心のバランスが取れている人ではないでしょうか？<br /> &nbsp;今の私の課題として、競争から協調へと進路を変えていくためには、否定しないで受け入れる生き方をしていきたいと思います。</p> <p>上記のように、自分が否定しないで受け入れる生き方を目指せば、他人が自分を否定した時にも腹を立てることなく、相手が本能のままで生きていて可哀想だなと俯瞰した見方が出来るおまけまでついてくるのではないでしょうか？</p></div>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>拷問と修業</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.mdcshigoto.com/rinen/shiawase/gomonshugyo.php" />
    <id>tag:www.mdcshigoto.com,2010://1.63</id>

    <published>2010-01-10T02:07:12Z</published>
    <updated>2010-03-30T06:07:09Z</updated>

    <summary>患者様とのトラブルや話の食い違いほどストレスになることはないのではないかと思います。</summary>
    <author>
        <name>mdcshigoto</name>
        <uri>http://www.mdcshigoto.com/mt/mt-cp.cgi?__mode=view&amp;blog_id=1&amp;id=1</uri>
    </author>
    
        <category term="050020)幸せになりたい" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="ストレス" label="ストレス" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="トラブル" label="トラブル" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="患者様" label="患者様" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.mdcshigoto.com/">
        <![CDATA[<div class="usr_paragraph_all"><p>自分の経験から言って、院長にとって、患者様とのトラブルや話の食い違いほどストレスになることはないのではないかと思います。<br /> &nbsp;人間は、基本的に争い事やトラブルを好みません。<br /> &nbsp;誰しも平和で穏やかに生きたいと願っているのです。</p> <p>しかし現実には、生きている限り、いろんなトラブルや予期しない事件は必ず起こるのです。<br /> &nbsp;どんなに静かに、おとなしく生きていても、他人にとっては自分の思いと違う場合もあるのです。<br /> &nbsp;医院のトップとして、日々経営していくことは、つらいことにも出会います。<br /> &nbsp;人生全般の困難を、避けよう、避けようとしていた時期もありました。<br /> &nbsp;しかし、いくら逃げても、人生において、つらいことを避けて生きることが出来ないのですから、前向きにとらえていくしかないのです。</p> <p>同じつらいことが、ごう問になるか修業になるかはその人の考え方１つなのです。<br /> &nbsp;例えば、受験勉強をする場合でも、その後に楽しい大学生活や社会生活が待っていると思うか、ただ親がガミガミ言うから仕方なしに勉強するかでは、同じ勉強でもごう問と修業の違いがあるのです。<br /> &nbsp;また、スタッフの問題が生じた時に、「なんで俺だけこんな目に合わないといけないんだ」と思うか、「このトラブルをきっかけにきちんとした就業規則を作るぞ」と前向きに考えられるかで、拷問にも修業にもなるのです。</p> <p>結論を言いますと、トラブルが解決した向こう側に、自分に対するごほうびを設定できればそれは修業になりますが、ごほうびが思いつかないとごう問になってしまうのです。<br /> &nbsp;これは考え方の習慣なのです。<br /> &nbsp;つらいなと感じた時には、その先にはどんなごほうびがあるかを考える事が出来れば、気持ちは断然楽になってくるのです。</p> <p>全ての困難がご褒美に思えるような考え方が出来れば、毎日楽しくてしょうがないのだろうなと、想像するだけでワクワクしてくる今日の頃です。<br /> &nbsp;星の王子様の「本当に大切なものは目では見えない」と言いますが、見えない物に気付く事が生きていく上での成長なんだと思います。</p></div>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>感謝する心</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.mdcshigoto.com/rinen/shiawase/kansha.php" />
    <id>tag:www.mdcshigoto.com,2010://1.64</id>

    <published>2010-01-10T03:07:29Z</published>
    <updated>2010-03-30T06:18:06Z</updated>

    <summary>私も「感謝する心」を手に入れるために小さな習慣を積み重ねていきたいです。</summary>
    <author>
        <name>mdcshigoto</name>
        <uri>http://www.mdcshigoto.com/mt/mt-cp.cgi?__mode=view&amp;blog_id=1&amp;id=1</uri>
    </author>
    
        <category term="050020)幸せになりたい" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="感謝" label="感謝" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="習慣" label="習慣" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.mdcshigoto.com/">
        <![CDATA[<div class="usr_paragraph_all"><p>私の知っている、事故で障害を負った２人の人は「事故は私の人生での最大のプレゼントだ」と言われていました。<br /> &nbsp;「障害を負う前の人生よりも、障害を負った後の人生の方が幸せだ」と言い切られるのです。<br /> &nbsp;初めは、この２人の人はとてもプラス思考の人なのだろう、ぐらいに思っていました。<br /> &nbsp;どう考えても、健康な時よりも、障害を負った時の方が幸せだという事は私には理解できませんでした。<br /> &nbsp;しかし、今では、２人の方は、体の不自由と引き換えに「感謝する心」を与えられたのではないかと思うようになってきました。</p> <p>障害をおってからは、何をするにも他人の力を借りなければなりません。<br /> &nbsp;自分一人では全ての事を出来ないので、小さな事にも感謝の気持ちが持て、全ての事がありがたく感じられるのではないかと思えるようになってきました。<br /> &nbsp;日々の日常が感謝にあふれているのだと想像できます。<br /> &nbsp;幸せになる為には感謝の気持ちは不可欠であるという事は、多くの人は左脳では理解しています。</p> <p>しかし、しょせん左脳どまりなのです。<br /> &nbsp;上記の障害を持った方は、心から感謝する日常を送っていて、感謝するという事が右脳にしみ込んでいるのだと思います。<br /> &nbsp;凡人の自分が感謝する習慣を身につけるためには、小さな１つ１つの事を丁寧に意識して感謝していくしかないように思います。<br /> &nbsp;左脳の情報を右脳に移し替えるには、習慣に勝るものはないと思います。<br /> &nbsp;私も「感謝する心」を手に入れるために小さな習慣を積み重ねていきたいです。</p></div>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>天使と悪魔</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.mdcshigoto.com/rinen/shiawase/tenshitoakuma.php" />
    <id>tag:www.mdcshigoto.com,2010://1.84</id>

    <published>2010-01-10T04:01:40Z</published>
    <updated>2010-11-12T06:27:20Z</updated>

    <summary>私の中には天使もいれば悪魔もいる。</summary>
    <author>
        <name>mdcshigoto</name>
        <uri>http://www.mdcshigoto.com/mt/mt-cp.cgi?__mode=view&amp;blog_id=1&amp;id=1</uri>
    </author>
    
        <category term="050020)幸せになりたい" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="不安" label="不安" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="現実" label="現実" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="生き方" label="生き方" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.mdcshigoto.com/">
        <![CDATA[<div class="usr_paragraph_all"><p>私の中には天使もいれば悪魔もいる。<br /> &nbsp;できる事ならいつも天使の自分でいたい、<br /> &nbsp;でも&hellip;&hellip;</p> <p>自分に余裕がなくなってくると、悪魔の自分が顔をもたげてくる。<br /> &nbsp;例えば<br /> &nbsp;自分を否定された時<br /> &nbsp;信じてた人間の信じたくない現実を見た時<br /> &nbsp;忙しすぎて気持ちに余裕が持てなくなった時<br /> &nbsp;気持ちだけが焦って、結果を早く求めてしまう時<br /> &nbsp;時間がないのに子供たちがいうことを聞かない時<br /> &nbsp;未来に不安を感じた時<br /> &nbsp;病気になった時<br /> &nbsp;我慢の限界を超えた時<br /> &nbsp;&hellip;&hellip;&hellip;&hellip;</p> <p>天使の自分は他人にも思いやりの気持ちが持てるのに、悪魔の自分は自分のことで精いっぱいで、他人を責めたり、他人の足も引っ張りたい衝動に駆られる&hellip;&hellip;<br /> &nbsp;天使の自分は問題を解決しようと頭を使うが、悪魔の自分は、相手の人格を攻撃してより傷つけようと頭を使っている&hellip;&hellip;<br /> &nbsp;天使の自分は生きることは楽しいが、悪魔の自分は生きることは苦しいと感じる&hellip;&hellip;</p> <p>神様はなぜ、人間に天使の部分だけを与えなかったのだろう？<br /> &nbsp;悪魔の自分がいる事を知ることで、どんな状況でも謙虚な気持ちにならせるためだろうか？<br /> &nbsp;悪魔の自分が少なくなったり、顔を出さなくなることを成長と呼ぶのだろうか？<br /> &nbsp;悪魔に自分の誘惑に打ち勝つことを克己心というのだろうか？<br /> &nbsp;「馬鹿とはさみは使いよう」ということわざがあるが、悪魔の存在も使い方で意味と価値のあることなのだろうか？<br /> &nbsp;悪魔の自分を受け入れて共存していくのが正しい生き方なのだろうか？</p></div>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>妬みと嫉妬</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.mdcshigoto.com/rinen/shiawase/shitonetami.php" />
    <id>tag:www.mdcshigoto.com,2010://1.65</id>

    <published>2010-01-10T05:08:47Z</published>
    <updated>2010-11-12T06:21:27Z</updated>

    <summary>妬まない、嫉妬しない為には、自分は幸せだな、恵まれているな、と感謝する習慣を身につけていくしかないのではないでしょうか。</summary>
    <author>
        <name>mdcshigoto</name>
        <uri>http://www.mdcshigoto.com/mt/mt-cp.cgi?__mode=view&amp;blog_id=1&amp;id=1</uri>
    </author>
    
        <category term="050020)幸せになりたい" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="妬み" label="妬み" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="嫉妬" label="嫉妬" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="幸せ" label="幸せ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="感謝" label="感謝" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.mdcshigoto.com/">
        <![CDATA[<div class="usr_paragraph_all"><p>世の中は、なぜ他人の足を引っ張ろうとする人間でいっぱいなのだろうか？<br /> &nbsp;人はまっすぐ進んでいけば、どの人もいいものをたくさん持っています。<br /> &nbsp;それなのに、世の中はまっすぐに進もうとする人を邪魔する人や出来事でいっぱいなのです。</p> <p>正しい事やいい事をしている人を見ても、点数稼ぎとか、煙たいとか、他人と違う事は認めたくない気持ちが働きます。<br /> &nbsp;子供時代を思い出しても、目立つ人間は、仲間外れをされたり、白い目で見られることが多いです。<br /> &nbsp;仕事においても、頑張っていない人が頑張っている人をうっとうしく思った言動をします。<br /> &nbsp;そこには、正しいから素晴らしい、頑張ってるから素晴らしいのではなく、周りと同じ事が素晴らしいという不文律があります。<br /> &nbsp;良い事でさえ、調和を乱す事は受け入れられにくいのです。</p> <p>自分だけ目立つ事は許さない、という暗黙の掟があります。<br /> &nbsp;学校の先生にしても、政治家にしても、どの世界でもいい事をしようとしても目立つとたたかれます。<br /> &nbsp;「出る杭は打たれる」ということわざがありますが、周りと違う事は非難の対象になってくるのです。<br /> &nbsp;「妬み、嫉妬」は人間の本能に埋め込まれたものなのでしょうか？<br /> &nbsp;「妬み、嫉妬」がその人を不幸にしてしまいます。<br /> &nbsp;妬まない、嫉妬しない為には、自分は幸せだな、恵まれているな、と感謝する習慣を身につけていくしかないのではないでしょうか。</p> <p>自尊心と他尊心のバランスが取れれば、人を妬まなくても幸せでいられるように思います。<br /> &nbsp;「イチローは２０億円稼いでいるんだって、すごいね」「でも僕だって、イチローに負けないぐらいこんなに幸せだよ！」と言い切れる生き方をしたいものですね。<br /> &nbsp;目に見える物で他人と比べていたら、全ての物を手に入れることは不可能ですから、どうしても持っている人間を妬んでしまいます。<br /> &nbsp;イチローだって、多くの物を代償にして今があるけど、得たもの以上に失っている物も多いはずです。<br /> &nbsp;比べる基準は目に見えるものではなくて、幸せかどうかで比べれば妬みや嫉妬は減ってくるのではないでしょうか。</p> <p>「幸せ」になる為には「感謝」の気持ちは不可欠です。 &nbsp;感謝する為には、「自分の事が好き」になれなければなりません。 &nbsp;自分の事を好きになる為には、好きになれるような「習慣」を身につけなければなりません。 &nbsp;そういう習慣を身につけるためには、まずはいい事を考え、いい事を口にする事を習慣にしていくことからスタートするしかないと思いますが、皆さんはどう思われますか？</p></div>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>相手によって対応を変える愚かさ</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.mdcshigoto.com/rinen/shiawase/orokasa.php" />
    <id>tag:www.mdcshigoto.com,2010://1.67</id>

    <published>2010-01-10T06:06:28Z</published>
    <updated>2010-11-12T06:21:03Z</updated>

    <summary>世の中には、相手によって対応を変えることを、卑しい行為だと思っていない方がいます。</summary>
    <author>
        <name>mdcshigoto</name>
        <uri>http://www.mdcshigoto.com/mt/mt-cp.cgi?__mode=view&amp;blog_id=1&amp;id=1</uri>
    </author>
    
        <category term="050020)幸せになりたい" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="お客" label="お客" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="不幸" label="不幸" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="感謝" label="感謝" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.mdcshigoto.com/">
        <![CDATA[<div class="usr_paragraph_all"><p>世の中には、相手によって対応を変えることを、卑しい行為だと思っていない方がいます。<br /> &nbsp;相手が男か女か、子供か大人か、文句を言いそうか言わなさそうか、お金持ちかそうでないか、&hellip;&hellip;&hellip;&hellip;&hellip;&hellip;<br /> &nbsp;そういう人は、いろんな基準で相手を選り分けて対応を変えているのではないでしょうか？<br /> &nbsp;結局、そういう人の判断基準は、自分にとって「損か得か」という基準で相手を選別しているのだと思います。</p> <p>女性だったらそんなに文句は言ってこないだろうから適当に対応しても怖くない、自分はお客なんだから威張る権利があるから横柄な態度をとってやろう、この人に親切にしておくと何か見返りがありそうだ&hellip;&hellip;&hellip;&hellip;&hellip;<br /> &nbsp;そういう考えの人は、他人を不快な思いにしますから、必ずその行為は自分に返ってきます。<br /> &nbsp;そもそも、そういう人は自分で相手への対応を選んでいるつもりなのが、結局は相手や損得勘定に自分が踊らされていることに気づいていないのです。</p> <p>それに自分で判断したことが思いとは逆のことは多々あります。<br /> &nbsp;女性だと思って軽くあしらっていたら、旦那はとても怖い人だった、自分はお客だと思って威張る気持ちが、仕事の時に必要以上に自分を卑屈に思ったり感じてしまう、自分には得はないと思ってバカにしていた人が、本当はいい出会いのチャンスを持っていた&hellip;&hellip;&hellip;&hellip;&hellip;こんなことは世の中にゴロゴロしています。</p> <p>人は目に見えるものを過大評価して生きています。<br /> &nbsp;しかし、本当の幸せは目に見えません。感謝の心で感じるしかありません。<br /> &nbsp;目に見えるものに振り回される生き方が、その人を不幸にしているのです。<br /> &nbsp;男性であろうと女性であろうと、子供でも大人でも、怖いお兄さんでもやさしいお婆さんでも、お金持ちでもそうでなくても、自分がお客であろうと相手手がお客であろうと同じ行動をすることが、自分の性格を形成してくれ、自分の心の平和を保ってくれるのではないでしょうか。</p> <p>特に、自分がお客になった時に威張った態度をとる人間を見ると、心の底から可哀そうになってきます。<br /> &nbsp;「お客様は神様です」という歌手の人がいましたが、お金を払う人はそんなに偉いのでしょうか？<br /> &nbsp;レストランで食べる人は作る人よりも偉いのでしょうか？<br /> &nbsp;物を売る人と買う人では、売り手は買い手の奴隷なのでしょうか？<br /> &nbsp;売り手と買い手に優劣はあるのでしょうか？<br /> &nbsp;お金というものは、その価値があるという判断で物々交換の延長として支払っているだけで、世の中を円滑にしていく１つの手段として存在しているだけなのではないでしょうか。</p> <p>わかりやすく言えば、キャベツ１つとテレビ１台を交換したのでは何かすっきりしないし、キャベツを２０個もらってもそんなに食べられないので、便利なお金があるというだけのように思います。<br /> &nbsp;極論すると、お金を持っている人間が一番偉い、私がお金を払ってやっているのだ、という偏見が横柄な態度につながってくるように思います。</p> <p>そもそも、自分がその金額の価値があると判断して購入を決めたものを、お金が払うほうだけが威張るという行為は、とてもおかしい行為だと気づくべきです。<br /> &nbsp;その店で食べたいと思ったのは自分であって、無理やり連れ込まれたわけではありません。<br /> &nbsp;何かを買うと判断したのも自分であって、無理やり買わされたわけではありません。</p> <p>決してお金を寄付したわけでも、ボランチィア精神でお金を払ったわけではないことに気づくべきです。<br /> &nbsp;たとえ寄付する行為であったとしても、「寄付してやった」と思うのであれば、寄付しないほうがお互いのためにいいと思います。<br /> &nbsp;自分が物を売っても「買ってくれてありがとう」、自分が物を買っても「売ってくれてありがとう」というお互い様という精神が人を幸せにしてくれると思います。</p> <p>では、なぜ相手によって対応を変えたり、自分がお客になった時に威張る人が多いのでしょうか？<br /> &nbsp;こういうことをする人間の本質について私なりに考えてみました。<br /> &nbsp;基本的に、人は威張りたいのです、自分はすごい存在だと誇示したいのです、自分は他人とは違う扱いを得たいのです。<br /> &nbsp;しかし、普段そんなことをしていたら周りから人が去っていきますし、逆に明らかに自分が攻撃されてしまいます。<br /> &nbsp;それが、お金を支払うということで「自分には威張る権利がある」と勘違いしてしまうのです。</p> <p>私の知り合いの添乗員の方が「旅の恥はかき捨てと思っているのか、この添乗員とは２度と会わないと思っているのか、むちゃくちゃなことを言ってくる人が一般社会よりも多い」と言われていましたが、後先考えなければ、自分のわがままを通したいという本能が人間にはあるのだと思います。<br /> &nbsp;他人を下に見ることでしか自分を尊重できない人は、すきさえあれば他人の足を引っ張ろうとするものです。<br /> &nbsp;他人を引きずりおろさなければ自分の心の優越感が維持できないのです。<br /> 自分が王様になれば、たいていのことは相手が従ってくれると思えば、確かに想像するだけでいい気持になってしまいます。</p> <p>しかし、今の日本に王様はいません。<br /> &nbsp;天皇陛下や総理大臣でも自分の欲望や本能を抑えて、理性を持って生きていかなければいけません。<br /> &nbsp;自分の思いがすべて通ると勘違いして育てられた子供は社会では生きていけません。<br /> &nbsp;お金を払った時ぐらい王様気分になって何が悪いのかと思う人もいるかもしれませんが、その反動が必ず自分に向けられてしまうのです。</p><p>家では王様気分の子供は、外では自分の思い通りにならない社会がストレスになってきます。<br /> &nbsp;家でも外でも、言うべきことは言い、我慢すべきことは我慢するという同じ態度で生活すれば、社会生活のストレスが減ってくるのです。人間関係のストレスが軽減できるのです。</p> <p>私がお客になった時に自分がお金をいただくときと同じようにするように心掛けているのは、道徳心というよりは、逆にお金をいただくときに自分が必要以上に卑屈になってしまうのが嫌なのです。<br /> &nbsp;幸せになる原則に、自分と他人を同じように大切に考える「自他同然」という言葉がありますが、自分が売り手になっても買い手になっても同じ対応をすることが、より多くのことを感謝でき、他人を尊重できる生き方をする訓練になってくるのだと思います。<br /> &nbsp;自分の間違った行為や考え方に気づくまでは、その人の不幸は永遠に続いていくのです。</p></div>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>頭の良さと幸せ度</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.mdcshigoto.com/rinen/shiawase/atama.php" />
    <id>tag:www.mdcshigoto.com,2010://1.68</id>

    <published>2010-01-10T07:08:44Z</published>
    <updated>2010-11-12T06:20:28Z</updated>

    <summary>私は、学生時代に頭のいい（記憶力のある）人がうらやましかったものです。</summary>
    <author>
        <name>mdcshigoto</name>
        <uri>http://www.mdcshigoto.com/mt/mt-cp.cgi?__mode=view&amp;blog_id=1&amp;id=1</uri>
    </author>
    
        <category term="050020)幸せになりたい" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="価値" label="価値" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="幸せ" label="幸せ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="頭のいい" label="頭のいい" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.mdcshigoto.com/">
        <![CDATA[<div class="usr_paragraph_all"><p>私は、学生時代に頭のいい（記憶力のある）人がうらやましかったものです。<br /> &nbsp;長年、ないものねだりで、記憶力は良いに越したことがない、と頭のいい人をうらやましく思っていましたが、最近では頭のいい人は記憶力がいいために、考えるという行為を軽視してしまうのではないかと思い、自分はあまり頭がよくなくてよかったと思っています（笑）</p> <p>頭のいい人は、記憶力、成績とかお金とか目に見えるものを重視する傾向があるように思います。<br /> &nbsp;頭のいい人は、自分の成績が良かったので、自分が評価されてきた学歴とか有名企業への就職、持ち物のブランドなど目に見えるものこそ価値があると考えがちなのではないでしょうか？</p> <p>一方、成績が優秀でなかった人は、自分が評価してもらえなかった、学歴、有名企業、ブランドなどは、手に入れられなかったので、人間の価値や幸せはそういう目に見えることろにはない、というスタンスで、世の中を見る習慣がついてきたのではないかと思います。<br /> &nbsp;私の妹は私より学力はかなり劣りましたが、人間的には私よりも断然優れていました。<br /> &nbsp;そう思うと、「頭がいいってなんだろう？」「学校の成績ってなんだろう？」と考えてしまいました。</p> <p>まず人は、幸せになるために頑張っています。<br /> &nbsp;頭がいいことで幸せになったり、勉強ができることで幸せになるのであれば、話は分かりやすいのですが、頭が良かったり、成績がいいために逆に不幸へ向かっているとしたら、物事の本質を整理しておく必要があると思います。<br /> &nbsp;まず、頭がいいとか学校の成績がいいというのは、足が速い、力持ちであるという１つの能力に過ぎないということを認識するべきです。</p> <p>社会に出て、俺は足が速かったんだといつまでも自慢することが滑稽なように、頭が良かったり成績が良かったことは社会に出たら忘れるべきです。<br /> &nbsp;過去の栄光にしがみつくマイナスを認識すべきです。<br /> &nbsp;イチロー選手が国民栄誉賞を辞退したのは、まだまだ過去にしがみつきたくなかったのではないでしょうか？</p> <p>人は誰でも幸せになりたくて頑張っているのだとすれば、世間がいう、常識に惑わせることなく、自分の考え方や言動は、幸せになるために前進しているだろうかと、自問自答していくことが大切なように思います。</p></div>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>天国人と地獄人</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.mdcshigoto.com/rinen/shiawase/tengoku.php" />
    <id>tag:www.mdcshigoto.com,2010://1.69</id>

    <published>2010-01-10T08:04:19Z</published>
    <updated>2010-11-12T06:20:06Z</updated>

    <summary>プラス思考の人かマイナス思考の人か、天国人か地獄人かという識別をしています。</summary>
    <author>
        <name>mdcshigoto</name>
        <uri>http://www.mdcshigoto.com/mt/mt-cp.cgi?__mode=view&amp;blog_id=1&amp;id=1</uri>
    </author>
    
        <category term="050020)幸せになりたい" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="プラス思考" label="プラス思考" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="マイナス思考" label="マイナス思考" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="地獄人" label="地獄人" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="天国人" label="天国人" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.mdcshigoto.com/">
        <![CDATA[<div class="usr_paragraph_all"><p>人と接する時に、この人は悪循環にはまっている人か、良い循環で回っている人かを判断するようにしています。<br /> &nbsp;言葉を変えれば、プラス思考の人かマイナス思考の人か、天国人か地獄人かという識別をしています。<br /> &nbsp;善循環の人と話をすればこちらも幸せを感じますが、悪循環にはまっている人と話をすると、こちらの気分も最悪になってします。</p> <p>天国人の人には、妬み、ひがみ、怒り、怖れがありませんが、地獄人はこれらを持って相手を攻撃してきます。<br /> &nbsp;これは運や人間性というよりは、考え方の違いです。<br /> &nbsp;誰でも天国人と地獄人を繰り返しながら生活しています。<br /> &nbsp;いつも天国人の人もいなければ、いつも地獄人の人もいません。</p> <p>しかし、天国人の時間が長い人と、いつも簡単に地獄人に変貌する人といます。<br /> &nbsp;地獄人でいる事が平気な人は、自分のイライラを他人に当たる事で発散しようとします。<br /> &nbsp;そんな人に近づいたら、たいていの人は地獄人に引き込まれてしまいます。<br /> &nbsp;新入社員の採用の際には、特に地獄人気質の人は入社させないように気を付けています。<br /> &nbsp;１人地獄人気質の人が交われば、今いる他の天国人気質の人が悪影響を受けてしまうからです。</p> <p>松下幸之助は、「運のいい人としか付き合わない」と言っていましたが、これは「天国人気質の人としか付き合わない」という事のように思います。<br /> &nbsp;「妬み、ひがみ、怒り、怖れ」のない&hellip;&hellip;というか、意識的にそういうことを遠ざけようとしている人と接することで、自分も善循環で生活していけるのです。<br /> &nbsp;「類は友を呼ぶ」ということわざがありますが、悪循環の仲間入りだけは避けるためには、まずは自分が、妬み、ひがみ、怒り、怖れを遠ざけることが大切かと思います。</p></div>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>負の感情のコントロール</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.mdcshigoto.com/rinen/shiawase/hunokanjo.php" />
    <id>tag:www.mdcshigoto.com,2010://1.70</id>

    <published>2010-01-10T09:00:46Z</published>
    <updated>2010-11-12T06:19:46Z</updated>

    <summary>人間はいったん負の感情的になったら、コントロールが不可能になってしまう</summary>
    <author>
        <name>mdcshigoto</name>
        <uri>http://www.mdcshigoto.com/mt/mt-cp.cgi?__mode=view&amp;blog_id=1&amp;id=1</uri>
    </author>
    
        <category term="050020)幸せになりたい" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="コントロール" label="コントロール" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="マイナス" label="マイナス" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="感情" label="感情" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.mdcshigoto.com/">
        <![CDATA[<div class="usr_paragraph_all"><p>私は日々、気を付けていることがあります。<br /> &nbsp;それは、極力、マイナスの感情的にはならないことです。<br /> &nbsp;なぜなら、人間はいったん負の感情的になったら、コントロールが不可能になってしまう生き物だからです。</p> <p>この事実に気が付いて、周りの人を冷静に見ていると、面白いぐらいにこの原則が当てはまっているのです。<br /> &nbsp;いったん負の感情のスイッチが入ってしまうと、大人も子供も関係ないのです。<br /> &nbsp;正常な時には、物事を解決したり、いい方向に向かう為に知恵を使いますが、いったん負の感情にスイッチが入ってしまうと、相手を傷つけることが目的になってしまいます。</p> <p>攻撃の対象が問題の解決よりも相手の人格否定に変わってきます。<br /> &nbsp;それは冷静に見ていると、恐ろしくなってきます。<br /> &nbsp;究極、人が人殺しをする心理も理解できる気がします。<br /> &nbsp;なぜなら、負の感情にスイッチが入っている人は、罪の意識を持たないで平気で相手の人格を殺しにかかっているのです。肉体は殺していなくても、無意識に相手の精神を殺そうとしているのです。</p> <p>肉体と精神とどちらが大切かといえば、ある意味、生かした状態で相手の精神を殺そうとすることの方が残酷だと言えなくもありません。<br /> &nbsp;負の感情にスイッチが入るということは、人間が理性を失って動物や鬼畜に変わっていく瞬間ということなのです。<br /> &nbsp;この原則がわかってくると、自分は絶対に負のスイッチを押さないぞ！と意識することがより容易になってきます。<br /> &nbsp;なぜなら、自分が動物や鬼畜に変わりたくはないからです。<br /> &nbsp;自分でコントロールが可能なのは、負のスイッチを入れる直前か、入れた瞬間までです。</p> <p>私の経験では、入れた瞬間に自分の行為の過ちに気づけば、ギリギリどうにか引き返せます。<br /> &nbsp;それを、どんどん負の感情に入り込んでしまうと、もう逆流に飲み込まれて後戻りをすることは不可能になってしまいます。<br /> &nbsp;そうはいっても、私も人間なので、やはり何回かに１度はこのスイッチを入れてしまいます。<br /> &nbsp;それでも、この原理原則を知ってからは、負の感情のスイッチを入れる頻度が大幅に減ってきました。</p> <p>「怒らないようにしよう」「感情的にならないようにしよう」と思っている人は多いですが、多くの人は実行できないでいます。<br /> &nbsp;それは、感情にスイッチが入ってから自分をコントロールしようとしているからなのです。<br /> &nbsp;スイッチを入れるまでが勝負なのです。<br /> &nbsp;スイッチを入れようとする瞬間までが勝負なのです。<br /> &nbsp;スイッチを入れようとしている自分を客観的に見れるかどうかが勝負なのです。<br /> &nbsp;負の感情のスイッチは核兵器と同じようなものかもしれません。<br /> &nbsp;いったん押してしまうとあとは後悔するしかないのです。</p></div>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>キャッチボールvsドッジボール</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.mdcshigoto.com/rinen/shiawase/catchvs.php" />
    <id>tag:www.mdcshigoto.com,2010://1.82</id>

    <published>2010-01-10T10:05:11Z</published>
    <updated>2010-11-12T06:19:25Z</updated>

    <summary>コミュニケーションは、別名、言葉のキャッチボールといわれています。社会に出て、ドッジボールの強い人よりも、キャッチボールの上手な人の方が評価されるのです</summary>
    <author>
        <name>mdcshigoto</name>
        <uri>http://www.mdcshigoto.com/mt/mt-cp.cgi?__mode=view&amp;blog_id=1&amp;id=1</uri>
    </author>
    
        <category term="050020)幸せになりたい" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="コミュニケーション" label="コミュニケーション" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="会話" label="会話" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="社会" label="社会" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="評価" label="評価" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.mdcshigoto.com/">
        <![CDATA[<div class="usr_paragraph_all"><p>コミュニケーションは、別名、言葉のキャッチボールといわれています。<br /> &nbsp;しかし、多くの場合、キャッチボールではなくドッジボールを仕掛けてくる人が多いです。<br /> &nbsp;キャッチボールは相手がとりやすい球を投げ返すことが目的で、ドッジボールは相手がとりにくいボールを投げて相手を負かすことが目的です。</p> <p>会話というのは、相手のコメントに敬意を払って言葉を返していくことが基本です。<br /> &nbsp;しかし、実際には、相手のどこが間違っているか、あるいは自分の意見の方がどんなに相手の意見より優れているかをアピールしようとする人が多いのが現実ではないでしょうか。<br /> &nbsp;特に家族や友人など、身近な人ほど話し相手と勝負したがる傾向があるように感じます。</p> <p>なぜなら、あまり知らない他人にむやみにドッジボールを挑めば、相手は気分を害して「なんじゃこの人は？！感じ悪い人やな～！」となるのでそういう人の周りには人が寄り付かなくなってきます。<br /> &nbsp;身近な人にはそういった遠慮の気持ちが少ない分、理性のブレーキが効いていないので、人間の本心が出やすくなるのです。</p> <br /> <p>人は誰でも自分の存在価値を認めてほしいものです。<br /> &nbsp;しかし、なかなか、人は他人の事を褒めたり認めてくれません。<br /> &nbsp;そこで痺れを切らして、無意識のうちに、他人の意見を否定して自分を相手より上に見せようとしてしまうのです。</p> <p>初めから、ドッジボールをするのがわかっていれば、お互いにそのつもりで臨みますが、片やキャッチボールのつもりでボールを投げたのに、いきなりドッジボールのような球が返ってくれば受け取る方は困惑してしまいます。<br /> &nbsp;若い時には、相手に議論で勝つことが優秀である、というような受け止め方をされてきました。ドッジボールの強い人が尊敬に値したように思います。</p> <p>しかし、社会に出て、ドッジボールの強い人よりも、キャッチボールの上手な人の方が評価されるのです。<br /> &nbsp;ましてや、相手がキャッチボールを投げているのに、いきなりドッジボールを返すような人が尊敬されることはありません。<br /> &nbsp;若い時の名残りで、会話の流れがドッジボールになりがちなのは仕方がないかもしれませんが、そこを理性でキャッチボールのうまい人になっていくのが人から高く評価される１つの要素ではないかと思います。</p> <p>ドッジボールは相手を負かせばいいのですから、ドッジボールの技術のゴールはあっても、キャッチボールに関しては、どれだけ相手の事を思いやって投げ返してもこれで完璧という究極のゴールはないと思います。</p> <br /> <p>自分の会話は、キャッチボールのつもりがドッジボールになってないかを反省すべき人は多いのではないでしょうか？</p></div>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>そんなの常識でしょ？！</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.mdcshigoto.com/rinen/shiawase/sonnano.php" />
    <id>tag:www.mdcshigoto.com,2010://1.83</id>

    <published>2010-01-10T11:05:53Z</published>
    <updated>2010-11-12T06:19:03Z</updated>

    <summary>相手の事を思いやる、相手の嫌がることは言ったりしたりしないということこそ常識なのではないでしょうか？</summary>
    <author>
        <name>mdcshigoto</name>
        <uri>http://www.mdcshigoto.com/mt/mt-cp.cgi?__mode=view&amp;blog_id=1&amp;id=1</uri>
    </author>
    
        <category term="050020)幸せになりたい" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="常識" label="常識" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="思いやり" label="思いやり" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.mdcshigoto.com/">
        <![CDATA[<div class="usr_paragraph_all"><p>「そんなの常識でしょ？！」<br /> &nbsp;この言葉を小さい時から何度耳にしたことだろう。<br /> &nbsp;子供の時は、常識がないと言われることは恥ずかしいことなので、こう言われないように勉強したり、こう言われそうな質問は人に聞かなくなったように思います。</p> <p>大人になって、少しは自分にも自信が持てるようになってから、自分の意見を言ったり、わからないことは素直に聞くようになると、再びこの言葉を言う人間にたまに出会うことがあります。<br /> &nbsp;子供の時は、この言葉を言われることが恥ずかしいことでしたが、今ではこの言葉を言う人間の方が可哀そうになってきます。</p> <p>今なら、知恵もついてきたので、「そんなの常識でしょ？！」と言ってくる人間をやり込めることもできますが（争いたくないのでわざわざしませんが&hellip;&hellip;）、こういう人間が、人が自由に話しあったり、わからないことを素直に聞きあえる環境を壊しているんだよなと残念に思います。</p> <p>そもそも「常識って何か？」ということを真剣に考えれば、この言葉ほど簡単に使ってはいけない言葉だという言葉だということに気付くはずです。<br /> &nbsp;医者にとって医学的なことは当たり前の常識です。しかし、眼科には眼科の常識があり、外科医には外科医の常識があってもいいように思います。まして患者様からしたら、そんなことを常識といわれても困ってしまいます。</p> <p>主婦にとって「コシヒカリ」はお米の名前だと知っていたり、野菜の値段を把握しておく事は常識かもしれません。しかし、同じ主婦でも、お米を食べない人や、子供が病弱で料金よりも有機栽培、無農薬にこだわって料金を気にしないで購入している主婦がいたとしたら、その人は常識のない人間なのでしょうか？</p> <p>日本の総理大臣の名前を知っているのは常識だとしたら、フルネームで知らなければ常識がないのでしょうか？名字だけではダメなのでしょうか？<br /> &nbsp;PCというのはパソコンの略だということを知らないのは常識がない人でしょうか？<br /> &nbsp;そもそも、物事を知らないということは恥ずかしいことなのでしょうか？<br /> &nbsp;人が生きていくうえで大切なことは、多くの知識があるということよりも、お互いを思いやって生きていくということの方がより大切だと思います。</p> <p>そもそも、すべての事を知っている人間はいません。<br /> &nbsp;社会の中で人が生きていくうえで、人として守らなければならない常識はあります。しかし、知識として知らないことで、他人から非難されるような常識ってあるのかなと思います。<br /> &nbsp;何か、限定したことを知らないということで誰かに迷惑をかけているわけでもないのに、「そんなの常識でしょ？！」と他人から非難される必要はないのです。</p> <p>自分が知っていることは常識で、自分が知らないことは知らなくても当然の事、という驕りの気持ちが「そんなの常識でしょ？！」という言葉の影には含まれています。<br /> &nbsp;「そんなの常識でしょ？！」という人は、自尊心がとても強く、常に他人より自分が優れていることを認めさせたい人間なのです。<br /> &nbsp;普段、自分の事をなかなか認めてもらえない人間か、常に自分の事を認めさせたいという欲望が、「そんなの常識でしょ？！」ということで自分の欲望を満たそうとしているのです。</p> <p>常識というのは何を知っているかということのように思われていますが、本当の常識というのは、自分の持っている知識を消化したうえでどんな生き方をしているかではないかと思います。<br /> &nbsp;学校のテストではないのですから、何かを知っていること自体には何の意味もありません。その知っている知識を誰かのため社会のため、自分の成長のためにどう生かしていくかが大切なのではないでしょうか？</p> <p>人間関係を円滑にしていくためには、何かを知っているということには、そんなに価値はありません。<br /> &nbsp;相手の事を思いやる、相手の嫌がることは言ったりしたりしないということこそ常識なのではないでしょうか？<br /> &nbsp;あなたの周りにいる「そんなの常識でしょ？！」というかわいそうな人を発見したら、「他人をおとしめて自分が優位に立とうとしている心の貧しい人を発見」と思って憐れんであげてください。</p></div>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>年齢VS人間力</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.mdcshigoto.com/rinen/shiawase/nenrei.php" />
    <id>tag:www.mdcshigoto.com,2010://1.93</id>

    <published>2010-01-11T01:02:10Z</published>
    <updated>2011-04-29T14:37:51Z</updated>

    <summary>幸せになるためには、自尊心を持つことは必要ですが、自尊心が強くなればなるほど、他人を認める他尊心がバランス的に必要になってくるのです。</summary>
    <author>
        <name>mdcshigoto</name>
        <uri>http://www.mdcshigoto.com/mt/mt-cp.cgi?__mode=view&amp;blog_id=1&amp;id=1</uri>
    </author>
    
        <category term="050020)幸せになりたい" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="価値" label="価値" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="尊敬" label="尊敬" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="年齢" label="年齢" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="自尊心" label="自尊心" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.mdcshigoto.com/">
        <![CDATA[<div class="usr_paragraph_all"><p>年上の人を敬うことは大切なことです。<br /> &nbsp;できることなら「さすが長く生きているだけあって人間的にも尊敬できるな」という思いで敬いたいものです。</p> <p>しかし残念ながら、人の成長は必ずしも年齢とは関係ないように思います。<br /> &nbsp;イチローや石川遼君のコメントを聞いていて、若いのに立派だなと感心することは多々あります。<br /> &nbsp;一方、年はとっていても、この人は日々不幸だろうなと同情する人も少なくありません。</p> <p>以前、イチローがソフトバンクの王貞治氏のことを、プロ野球界で心から尊敬できる数少ない人だということを言われていました。<br /> &nbsp;特にプロ野球のような華やかな世界の人は、自分が一番で、他人を尊重できるような謙虚な人が少ないのかなと、このコメントから想像してしまいました。</p> <p>年齢とともに自尊心は強くなっていきます。<br /> &nbsp;特に男性の多くは、「自分は社会でこれだけ頑張っているのだからもっと評価してもらってしかるべきだ」という思いが年々強くなっているのではないでしょうか？！<br /> &nbsp;それなのに社会からの評価と自己評価とのギャップがあれば、無意識で周りの人の足を引っ張ろうと他人批判や、不平不満を言うのが日常になってきます。</p> <p>自分の価値を高める努力をするよりも、他人の価値を低くすることで、自分の価値を高めようとしてきます。<br /> &nbsp;幸せになるためには、自尊心を持つことは必要ですが、自尊心が強くなればなるほど、他人を認める他尊心がバランス的に必要になってくるのです。</p> <p>自尊心は悪性腫瘍のように勝手に膨張しますが、他尊心は自分で意識しなければなかなか育ちません。<br /> &nbsp;自分を認めることと、他人を認めることがセットで、初めて心が安定して幸せに生きていけるのです。</p> <p>他人のことを批判したり、不平不満が日常の人は、他尊心を意識して生きていかない限り年をとればとるほど、不幸の度合いが高くなっていくのではないかと思っています。<br /> &nbsp;限られた人生なのであれば、体は年々衰えていっても、心は年々豊かになっていきたいなと思います。</p></div>]]>
        
    </content>
</entry>

</feed>

