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南青山デンタルクリニック(東京・青山)・リクルート

総院長 青山健一の紹介

総院長 青山健一

◆総院長からのメッセージ

理事長青山健一

南青山デンタルクリニックでは、社員は家族だと考え、親子、兄弟のように仲よく、互いに切磋琢磨しあい、みんなで成長していきたいと考えています。

兄弟、先輩の関係は、優しくもあり厳しくもあります。誉めて育てるか叱って育てるかということがよく議論されますが、当クリニックでは、誉めたり叱ったりする以前に、信頼関係を作るということを重要視しています。信頼関係ができていれば、誉めても叱っても成長するが、信頼関係ができていなければ、誉めても叱っても失敗すると思っています。

信頼関係を築いていくためには、お互いに思いやりと感謝の気持ちを持って接し、相手の事を尊重していきたいと思っています。

当クリニックでは、採用はあくまで入口であって、本当の合否は入社した社員が心から「このクリニックに就職できてよかった!」と思って頂けることだと思っています。結婚と同じで、結婚した時よりも結婚して数年が経ったり、究極に言えば、死を迎える時に、心から「この人と結婚して幸せだった」と思ってほしいのと同じ感じです。

そういう意味で、当クリニックで重要視しているのは、今現在のスキルよりも思いやりや感謝の気持ちの強い人と一緒に働きたいと思っています。当クリニックにおける「優秀」という意味は「優しさに秀でている」と定義しています。

ぜひ優秀な人に、わがチームのメンバーになっていただきたいと思っています。

これまでの当クリニックの発展は、優秀な社員に恵まれたから今日があると、心から社員には感謝しています。その感謝の気持ちを形に表していくことが、トップである私の一番の仕事ではないかと感じています。

福利厚生を充実させたり、社員の成長のためには、お金、時間、色んな手間暇を惜しんではいけないと感じ、働く職場環境の改善には特に力を入れています。

社員が当クリニックで働くことに感謝してくれ、当クリニックの存在が患者様のため、社員のためになっているということが実感でき、そういう社員のためにもクリニックを大きくしていかなくてはということで、分院を作り、社員を増やし、クリニックがどんどん成長しています。

頑張ってくれている社員を幸せにしていくためにも、クリニックがもっともっと成長発展していかなければならないと考えています。当クリニックが分院を作っていくのは、社員の成長のためでもあるのです。分院を作って、社員に任せてそこで成長して、社員にやりがいや成功体験と物心両面での満足を得てもらうことを喜んでもらえることが、当クリニックの存在意義でもあるのです。

優秀な社員のおかげで、当クリニックの今日の発展があるのですから、その社員をどうやって幸せにしていけるかというを考えていくことが、今後の当クリニックの経営方針でもあるのです。

当クリニックの社員にも、そういう気持ちが伝わっているからこそ、頑張って仕事をしてくれているのだと信じています。経営者と社員が信頼関係で結ばれているのですから、今後も、当クリニックは安泰だと自負しています。

この信頼関係を崩さないためにも、お互いに信じあえる言動を続けていきたいと思っています。
当クリニックの職場環境は、天国のような性善説に基づいた環境ですが、当クリニックの一員として頑張ってみようと思われる方は、是非一度見学にでもいらしてください。

◆プロフィール

ドクターズ・ファイル
  • 1965年 広島県呉市生まれ
  • 1990年 広島大学歯学部卒業
  • 1992年 南青山デンタルクリニック開院
  • 2001年 医療法人社団 健青会 設立

▼クオキャリアからリクリーティングの取材を受けました(2015年12月号)

▼総院長のブログ「幸せってなぁに?」もご覧下さい。

◆主な著書

頼れるドクター掲載内容
  • 『部分矯正とマウスピース矯正の魅力』(桐書房)
  • 『抜かない矯正の最新知識(改訂版)』(桐書房)
  • 『抜かない矯正専門のDr.が薦める「1年で治る矯正治療」』(ごま書房)
  • 『噛み合わせを治せば肩こり、頭痛が消える!』(同文書院)
  • 『知らなきゃ損する歯の矯正のお話』(冬青社)
  • 『20代社員の使い方にはコツがある!』(明日香出版社)
  • 『よくわかる家庭の歯学』(桐書房)
  • 『開業医として成功するには成功する常識がある』(クインテッセンス)
  • 『誰も思いつかなかった歯科医院経営の秘訣』(クインテッセンス)
  • 『南青山発「落ちこぼれ歯医者の逆襲」』(デンタルダイヤモンド社)

ごあいさつ

最近心に残った言葉は「幸せ」には「人から与えられる幸せ」「自分の力で何かを得る幸せ」「他人に与える幸せ」の3種類あり、「他人に与える幸せ」を知っている人が最高の幸せ者である、という言葉です。

私も人生の折り返し地点を過ぎてきましたので、これからは「他人に与える幸せ」を日々実践していきたいと考えています。

座右の銘は全ての人を尊重する、日々感謝です。

趣味は格闘技観戦、読書です。

青山健一の生い立ち

◆広島県呉市にて生まれました。

私、青山健一は1965年(昭和40年)2月28日に広島県呉市にて生まれました。生まれた時には、仮死状態で呼吸をしていなかったので、真っ青な顔をして出てきたらしいです。

その後は、とにかくよく泣く赤ちゃんだったらしく、泣きすぎでデベソになったのを、10円玉をおへそにセロハンテープで貼り付けて治したと今だに親に言われています。

両親が商売をしていて忙しかったので、多くの時間を祖父母に育てられました。小さい時は、野球少年で、テレビやラジオで地元の広島カープを応援していました。毎晩ラジオを聞きながら、「神様、何でもしますから、カープを勝たせてください」と祈っていたのが昨日の事のように思い出されます。実際にはカープが勝った時も何もしませんでしたが・・・・・・(神様ごめんなさい)

◆子供の頃は

子供の頃はよく風邪をひいていて、のどに蒸気を当てる治療で耳鼻科に通っていました。ある日、耳鼻科で蒸気を当てている時に、トイレに行きたくなったのですが、まだ蒸気はしばらく残っているし、トイレと言うのが恥ずかしくてしばらく我慢していましたが、ついに限界にきてしまいお漏らしをして泣いてしまった事があり、大人になった今でも、その時の看護婦さんと地元で会うと、思い出して恥ずかしくて、つい視線をそらしてしまいます。

私の育った所は、かなりの田舎だった為、子供の時は、昆虫や魚などを取りに山や川によく出かけていました。山で、小さな崖から落ちて頭を何針も縫う怪我をしたり、野犬に追いかけられたり、川で割れたビール瓶を踏んで血だらけになって、家までおんぶして連れて帰ってもらったこともありました。私は、小、中、高等学校と地元の公立高校に通っていたので、12年間は家から歩いて10分以内のところに全ての学校があって朝は、本当に時間ギリギリまで寝ることができました。

◆大学では

将来の職業について考える際に、自分はお酒も飲めないし、上司におべんちゃらも言えないからサラリーマンとしては出世できないと子供ながらに思っていました。そして、お医者さんはどうかなと考えた時に、自分はウソをつけない性格なので、「ガン」の患者様に「ガン」でないそぶりができるのだろうかと真剣に悩んだものです。(今ならガンの告知もありますが、当時は告知はタブーと考えられていました。)

そうこうしているうちに、大学の進路を決める際に、子供の時に自分は鼻やのどが弱く、度々、耳鼻科のお世話になったので、医学部に行って耳鼻科の勉強をしたかったのですが、ひょんなことから受験の直前で急きょ、歯学部へ進路を変更したのです。今では、あの時に歯学部に変更していて、本当によかったなと思っています。今でもそうですが、私の人生は自分で決断しているというよりは、何かの力である方向に導かれているという場合が多いのを感じます。

◆東京へ出てきて

広島大学歯学部を卒業してからは、勉強のために東京に出てきたのですが、広島でしか育った事のない田舎者の私には、方言などの言葉の壁や生活習慣においても、いろいろと苦労をしました。

一方、歯科医師としては東京に来たお陰で、多くのハイレベルな歯科医師の先生方と知り合い、そしていろいろと教えを請うことができ、今日の自分を作っていただいたことには、その方々に、いくら感謝しても感謝しきれない思いです。

今の自分があるのは、これら多くの方々のお力添えがあってのことである、ということを決して忘れず、これからはその感謝の気持ちを社会の方々に還元していく事が自分の使命だと思っています。