南青山デンタルクリニック(東京・青山)・リクルート

能力vs人格

子供の頃から、自分の価値は、周りよりどれだけ優れているかで判断されてきたように思う。
かけっこで順位が付けられたり、テストでいい点を取ったり、すべての基準は周りとの比較だったのではないだろうか?

かけっこの早いグループで4位のタイムよりも、かけっこの遅いグループでの1位のタイムの方が遅くても、誰がなんと言おうと1位は1位なのだ。タイムよりもそのグループの中での順位の方が大事なのだ。
平均点が80点のテストで80点を取っても目立たないが、平均点が50点のテストで70点を取る方が目立つのだ。

そんな学生生活を経て、社会人になってからも、自分の評価は周りとの比較だったように感じる。同期の中で自分は優れている方なのか、開業している地域の中で自分のクリニックは高く評価されているのか、等……
日本人に生まれただけで、全世界から見れば幸せなことは間違いないのだが、誰も世界の中の日本人としての評価はしなくて、周りの人間と比較して上流階級、中流階級などの意識を持っているのではないだろうか?

周りと比べて自分がどれだけ優れているかで、優越感を感じたり、劣等感を感じて年月が経っていった。
そういう生活を長く続けてきて、いつしか院長という立場で社員を雇うようになってきた。
今までは、「自分が周りよりも少しでも優秀な人間になる」ということを目標に頑張ってきたような気がするが、社員は院長が優秀かどうかには全く興味がないように感じてきた。

社員を雇ってから社員との衝突を繰り返していくうちに、社員にとっての興味は、院長が優秀かどうかというよりも、院長が人格者かどうかだ、ということに少しずつ気が付いてきた。
これまで、自分の性格や人格が大きく評価される環境にいなかっただけに、急に人格に焦点を当てられても何から手を付けていけばいいのかわからなかった。

多くの個人開業医が壁にぶち当たるのは、この点なのだ。今まで、自分の知識や技術が、周りの歯科医師よりも、少しでも優れているかどうかにだけ焦点を当ててきた人間が、社員に反発されて院長だけが孤立して途方に暮れた時に、これまでの生き方考え方を反省して、自分を変えていける人間だけが、社員もついてきてくれることを悟ったのだ。
このことに気が付かなければ、社員は永遠に院長の敵のままなのだ。

自分の知識やスキルを伸ばすための勉強は、これまでのように、自分のために努力すればいいから簡単だ。
一方、自分を押し殺して、社員のため、世の為人の為に生きていく努力は、戦前と戦後の考え方の違いぐらいに、簡単に生き方や考え方を変えていくことはできないものだ。

しかし、自分のことばかり考えて利己的な生き方をしてきた人間が、他人のことを考えて利他的な人間に変わっていけることは、これまでに感じたことのない喜びがあるのも事実だ。
社員が増えていけばいくほど、自分を監視し評価してくる目が増えていくことはプレッシャーにはなってくるが、プレッシャーがあるからこそ、やせ我慢でも続けていけるような気がする。

習慣とは恐ろしいもので、初めはやせ我慢でしていたことが、いつの間にか本当の習慣になってくるから不思議なものだ。
子供の時に自分の能力を磨く努力をしていくことは決して無駄なことではないと思う。

しかし、年齢を重ねるごとに、能力よりも人格形成に比重を移していく必要があるのは、院長やトップに限らず、人間共通のことではないかと思う今日この頃です。
今自分は、心から人格者になりたいと思って修業に励んでいますが、ゴールがないからこそ、死ぬまでの目標には最適なのかもしれません。