
拷問と修業
自分の経験から言って、院長にとって、患者様とのトラブルや話の食い違いほどストレスになることはないのではないかと思います。
人間は、基本的に争い事やトラブルを好みません。
誰しも平和で穏やかに生きたいと願っているのです。
しかし現実には、生きている限り、いろんなトラブルや予期しない事件は必ず起こるのです。
どんなに静かに、おとなしく生きていても、他人にとっては自分の思いと違う場合もあるのです。
医院のトップとして、日々経営していくことは、つらいことにも出会います。
人生全般の困難を、避けよう、避けようとしていた時期もありました。
しかし、いくら逃げても、人生において、つらいことを避けて生きることが出来ないのですから、前向きにとらえていくしかないのです。
同じつらいことが、ごう問になるか修業になるかはその人の考え方1つなのです。
例えば、受験勉強をする場合でも、その後に楽しい大学生活や社会生活が待っていると思うか、ただ親がガミガミ言うから仕方なしに勉強するかでは、同じ勉強でもごう問と修業の違いがあるのです。
また、スタッフの問題が生じた時に、「なんで俺だけこんな目に合わないといけないんだ」と思うか、「このトラブルをきっかけにきちんとした就業規則を作るぞ」と前向きに考えられるかで、拷問にも修業にもなるのです。
結論を言いますと、トラブルが解決した向こう側に、自分に対するごほうびを設定できればそれは修業になりますが、ごほうびが思いつかないとごう問になってしまうのです。
これは考え方の習慣なのです。
つらいなと感じた時には、その先にはどんなごほうびがあるかを考える事が出来れば、気持ちは断然楽になってくるのです。
全ての困難がご褒美に思えるような考え方が出来れば、毎日楽しくてしょうがないのだろうなと、想像するだけでワクワクしてくる今日の頃です。
星の王子様の「本当に大切なものは目では見えない」と言いますが、見えない物に気付く事が生きていく上での成長なんだと思います。












