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相手によって対応を変える愚かさ

世の中には、相手によって対応を変えることを、卑しい行為だと思っていない方がいます。
 相手が男か女か、子供か大人か、文句を言いそうか言わなさそうか、お金持ちかそうでないか、………………
 そういう人は、いろんな基準で相手を選り分けて対応を変えているのではないでしょうか?
 結局、そういう人の判断基準は、自分にとって「損か得か」という基準で相手を選別しているのだと思います。

女性だったらそんなに文句は言ってこないだろうから適当に対応しても怖くない、自分はお客なんだから威張る権利があるから横柄な態度をとってやろう、この人に親切にしておくと何か見返りがありそうだ……………
 そういう考えの人は、他人を不快な思いにしますから、必ずその行為は自分に返ってきます。
 そもそも、そういう人は自分で相手への対応を選んでいるつもりなのが、結局は相手や損得勘定に自分が踊らされていることに気づいていないのです。

それに自分で判断したことが思いとは逆のことは多々あります。
 女性だと思って軽くあしらっていたら、旦那はとても怖い人だった、自分はお客だと思って威張る気持ちが、仕事の時に必要以上に自分を卑屈に思ったり感じてしまう、自分には得はないと思ってバカにしていた人が、本当はいい出会いのチャンスを持っていた……………こんなことは世の中にゴロゴロしています。

人は目に見えるものを過大評価して生きています。
 しかし、本当の幸せは目に見えません。感謝の心で感じるしかありません。
 目に見えるものに振り回される生き方が、その人を不幸にしているのです。
 男性であろうと女性であろうと、子供でも大人でも、怖いお兄さんでもやさしいお婆さんでも、お金持ちでもそうでなくても、自分がお客であろうと相手手がお客であろうと同じ行動をすることが、自分の性格を形成してくれ、自分の心の平和を保ってくれるのではないでしょうか。

特に、自分がお客になった時に威張った態度をとる人間を見ると、心の底から可哀そうになってきます。
 「お客様は神様です」という歌手の人がいましたが、お金を払う人はそんなに偉いのでしょうか?
 レストランで食べる人は作る人よりも偉いのでしょうか?
 物を売る人と買う人では、売り手は買い手の奴隷なのでしょうか?
 売り手と買い手に優劣はあるのでしょうか?
 お金というものは、その価値があるという判断で物々交換の延長として支払っているだけで、世の中を円滑にしていく1つの手段として存在しているだけなのではないでしょうか。

わかりやすく言えば、キャベツ1つとテレビ1台を交換したのでは何かすっきりしないし、キャベツを20個もらってもそんなに食べられないので、便利なお金があるというだけのように思います。
 極論すると、お金を持っている人間が一番偉い、私がお金を払ってやっているのだ、という偏見が横柄な態度につながってくるように思います。

そもそも、自分がその金額の価値があると判断して購入を決めたものを、お金が払うほうだけが威張るという行為は、とてもおかしい行為だと気づくべきです。
 その店で食べたいと思ったのは自分であって、無理やり連れ込まれたわけではありません。
 何かを買うと判断したのも自分であって、無理やり買わされたわけではありません。

決してお金を寄付したわけでも、ボランチィア精神でお金を払ったわけではないことに気づくべきです。
 たとえ寄付する行為であったとしても、「寄付してやった」と思うのであれば、寄付しないほうがお互いのためにいいと思います。
 自分が物を売っても「買ってくれてありがとう」、自分が物を買っても「売ってくれてありがとう」というお互い様という精神が人を幸せにしてくれると思います。

では、なぜ相手によって対応を変えたり、自分がお客になった時に威張る人が多いのでしょうか?
 こういうことをする人間の本質について私なりに考えてみました。
 基本的に、人は威張りたいのです、自分はすごい存在だと誇示したいのです、自分は他人とは違う扱いを得たいのです。
 しかし、普段そんなことをしていたら周りから人が去っていきますし、逆に明らかに自分が攻撃されてしまいます。
 それが、お金を支払うということで「自分には威張る権利がある」と勘違いしてしまうのです。

私の知り合いの添乗員の方が「旅の恥はかき捨てと思っているのか、この添乗員とは2度と会わないと思っているのか、むちゃくちゃなことを言ってくる人が一般社会よりも多い」と言われていましたが、後先考えなければ、自分のわがままを通したいという本能が人間にはあるのだと思います。
 他人を下に見ることでしか自分を尊重できない人は、すきさえあれば他人の足を引っ張ろうとするものです。
 他人を引きずりおろさなければ自分の心の優越感が維持できないのです。
自分が王様になれば、たいていのことは相手が従ってくれると思えば、確かに想像するだけでいい気持になってしまいます。

しかし、今の日本に王様はいません。
 天皇陛下や総理大臣でも自分の欲望や本能を抑えて、理性を持って生きていかなければいけません。
 自分の思いがすべて通ると勘違いして育てられた子供は社会では生きていけません。
 お金を払った時ぐらい王様気分になって何が悪いのかと思う人もいるかもしれませんが、その反動が必ず自分に向けられてしまうのです。

家では王様気分の子供は、外では自分の思い通りにならない社会がストレスになってきます。
 家でも外でも、言うべきことは言い、我慢すべきことは我慢するという同じ態度で生活すれば、社会生活のストレスが減ってくるのです。人間関係のストレスが軽減できるのです。

私がお客になった時に自分がお金をいただくときと同じようにするように心掛けているのは、道徳心というよりは、逆にお金をいただくときに自分が必要以上に卑屈になってしまうのが嫌なのです。
 幸せになる原則に、自分と他人を同じように大切に考える「自他同然」という言葉がありますが、自分が売り手になっても買い手になっても同じ対応をすることが、より多くのことを感謝でき、他人を尊重できる生き方をする訓練になってくるのだと思います。
 自分の間違った行為や考え方に気づくまでは、その人の不幸は永遠に続いていくのです。