成功する為に大切な事 その3

過去の成功体験を捨てる

勤務医を採用する際にどの院長も言われることが、歯科医師はプライドの高い人が多いという事です。
私自身、歯科助手や歯科衛生士を採用していてプライドが高くて辞めてもらう事はほとんどありませんが、歯科医師の場合にはかなりの頻度で辞めてもらう事があります。

プライドが高いというのは、過去の成功体験を過信して、他人の言う事を素直に聞けないという事のように思います。
歯科医師の成功体験と言うのは、歯科医師免許を持っている、学業が優秀だったという事ぐらいですが、そのレベルで他人の意見を素直に聞けないのですから、開業して苦労するのも当然でしょう。

歯科医師免許を持っているのと調理師免許を持っているのはそんなに違う事でしょうか?
学業が優秀だったという事と、運動会でかけっこが早いというのはそんなに違う事でしょうか?
社会に出てから、私には、どちらも大差がない事だと思います。
縁あって歯科医師になったというだけで、どの職業でも他人の役に立っているかどうかが大切なんだと思います。

患者様に必要とされている歯科医師もいれば、自分のことしか考えない歯科医師もいます。
どの職業でも、お客さんから本当に必要とされている人とそうでない人がいます。
それは、能力ではなく相手を思う思いやりの違いだと思います。

歯医者の使命は患者様からどう評価されているかではないでしょうか。
自分ではいくら優秀だと思っていても、患者様から評価されなければ、廃院してみじめな思いをするだけです。
患者様から評価してもらえば、いい生活もできますし、仕事に生きがいも感じます。

社会に出て一番にする事は、学生時代からのちっぽけなプライドを捨てて、自分の夢の為なら何でもするという覚悟を持つことではないかと思います。
過去にしがみついて生きている人間が成功するはずありません。

売れていない俳優が、過去の小さな成功を自慢して仕事を選んでいたのでは、いつまでたっても成功するはずがありません。
売れていないのであれば、どんな役でもやる、という気概がなければ、初めからいい役が来るはずがないのです。

今現在、患者様から必要とされていないのであれば、どうすれば必要とされる人間になれるかを必死になって考えなければなりません。
「俺は歯医者だ」「私は優秀だ」といくら自分で叫んでも、誰も尊敬してくれません。

未来を切り開いていくためには、過去の成功体験をどれだけ捨てられるかという覚悟が、その人の行動に結びついてくるのです。
その覚悟が出来れば、自然ととるべき行動も違ってくるのです。

「実るほど首を垂れる稲穂かな」という句がありますが、首を垂れるには、自分はまだまだ成長途中だという謙虚な気持ちで、過去の小さな成功体験を捨てられる気持ちが大切だと思います。

答えをくれる人VSヒントをくれる人

何かの質問をした時に、答えをくれようとする人とヒントをくれようとする人がいます。
答えをくれようとする人の方が、親切に思えますが、簡単に答えを与えられると、その人は考える工程を省けますからとても楽です。
しかし、楽をして得たものは自分のものにはなりませんので、またいつか同じような悩みが発生するのです。

一方、ヒントを与えられて自分で考える場合には、どういう答えが出るかは受け手によって違います。
導き出した答えは人によって違っても、それが今現在のその人の答えなのです。
必ずしもベストの答えではなくても、その人が考え出すまでの過程で、その人は多くのことを学んでいるのです。

自分の頭で考えだした人は、次の問題点が発生しても思考回路は成長しています。
短いスパンで見れば、早く正解を出した人がリードしていますが、長いスパンで見れば自分の頭で考えた人の方が応用がきいてくるのです。

俗にいうティーチングとコーチングの違いですが、答えは相手が持っているという視点で接することが、相手を伸ばしていく為には大切なのです。

本当の人脈

どんな人と出会うかで人生の質は決まるような気がします。
実際には、どの人にも平等にいい出会いがあるのかもしれませんが、いい出会いを活かせる人と活かせない人がいるような気がします。

人脈という言葉がありますが、誰でも自分にとって得るものが多い人とはいい関係を続けたいものです。
相手も同じように考えていますから、同じような境遇の人とはいい関係が続きやすいものですが、一方的に相手を利用しようと考えていれば相手は逃げていくでしょう。
自分の事しか考えていなければ、当然相手は去っていきます。

どうすれば、人脈を作れるのだろうと考えていた時期もありますが、今、私が心掛けていることは、「また会いたいと思ってもらえる人間になる事」です。
それは、一緒にいて相手が気持ちよくなるようにすることだと思います。

なにもおべんちゃらを言う事ではなく、自然体で相手を気遣ってくれるような人とはまた会いたくなるものです。
私自身、セミナーを開催していて、また会いたいなー、何か力になってあげたいなー、という人が何人かいます。
その人の成功を心より祈っています。
そういう人と出会えたことが、セミナーを開催していて一番の収穫かなと思っています。

スタッフにも、幸せは他人が運んで来るから、人に親切にして可愛がられた方がいいよ、と言っています。
自分に得があるから相手によくするのではなく、誰にでも自然体で相手を居心地良くできることを積み重ねていけば、忘れたころにその中には幸せを運んでくれる人がいるものだと思っています。
それが、いつ、誰なのかは、誰にもわかりません。

損得ではなく、相手の為に何かをしてあげた中から、自分の人生を変えてくれる人が現れると信じれるかどうかで人生が違ってくるのです。
世の中に人脈を作る方法があるとすれば、目先の損得を追いかけるのではなく、いつ芽が出るかわからない種をまき続けることなのではないかと思います。

損得でつながった人脈でなく、人間的につながっている人脈だけが本当の人脈なのではないかと思っています。
そういう意味では、人脈は意識的に作るものではなく自然の流れでできるものではないかと思っています。

今の自分を変えるきっかけ作り

最近の読書は伝記のようなものを読むようにしています。
どんなきっかけでこの人は変わったのかを研究しています。
人は誰でも変われますが、変われるきっかけをどうやって持つかだと思います。

変わるきっかけを本からえる人、親などの生まれたり、育った環境からえる人、メンターのような人からえる人、自分の小さな成功体験からえる人、………
子供なら親やいい先生、良い友人から知らないうちに影響を受ける事も少なくないと思います。
しかし、社会人になると偶然や他人任せにしていたのでは、なかなか変わる事は出来ないのではないかと思います。

自分から、「どう変わりたい」という強い思いをもって、変わるきっかけを積極的に捜し出そうとしなければ、惰性的に今までの生き方の延長にしか未来はないのではないかと思っています。
人はもともと怠けたい生き物なので、自分で自分にはっぱをかけて「前向きに生きるぞ!」「成長するぞ!」と前進していかなければ、ついつい現状維持に満足してしまうように思います。

私自身、日々、怠け心との戦いのように思います。
自分に火をつける考え方を、捜そうともがいています。
そんな時に、頑張って結果を出している人の生き方、考え方は、とても役立ちます。
京セラの稲盛会長、ソフトバンクの孫会長、テンプスタッフの篠原社長、幕末の坂本龍馬、吉田松陰、などなど

大事をなした人に共通することは、「思い、志」の気持ちが違うという事です。
自分のための努力には限界がありますが、世のため人のための努力には限界がありません。
昔の人が言っていた「世のため人のために生きなさい」という教えは、成功するため、情熱を持って生きるためには不可欠の気持ちなのだと気づきました。

大事をなしたいのであれば、自分のためから他人のため社会のために、思いと志を移行していかなければならないのだと思います。
とても難しいことではありますが、死ぬまでに一生かけて理想に近づけるように決意することが大切なのだと思います。

そう決意すれば、日々とるべき行動も違ってくるものです。
結果において、いきなり大きい変化は不可能ですが、思いや志ならすぐにでも大きい決断はできると思います。

流される生き方VS意識して生きる生き方

人の生き方には、24時間の中で、流されて生きる時間と意識して生きている時間と2種類の生き方が混ざり合っています。
別の言い方で表現すると、何も考えないで無意識の中で過ごす時間と、意識して行動したり考えたりする時間とあります。

朝起きて、出勤する場合に、何も考えなくても職場に着けます。
それまでに何度も何度も通勤しているので意識しなくても職場までの行動が習慣化されています。
一方、初めての場所や、あまり行かない場所に行く場合は、間違わないように緊張しながら正しい道を選択しながら進んでいきます。

日常においても、大半の時間は昨日までの自分が意識しなくてもできる事を行っています。
昨日までの自分では習慣になっていないことをすると、ストレスを感じて居心地が悪いので自分の中に緊張感が走ります。

何も考えないで、無意識に行動できる事、感情の感じるままにする言動は楽ですが、成長とは、意識してする好ましい言動を無意識レベルまで落とし込むことのように思います。
損得に左右されたり、楽な道に流される今までの自分の価値観を、何が理想か何が正しいかを判断しながら、新しい価値観を習慣化していくことが成長であったり生きていく意味のような気がします。

人間は、先天的には、感情のままに流されて生きていけば、易きに流される弱い生き物です。
しかし、後天的に、正しい価値観を構築しながら、意識して生きていくことで、少しずつではあっても、周りや感情に流されない生き方ができるようになってくる生き物のようにも思います。

私自身、まだまだいろんなものに流されながら生きていますが、少しずつでも正しい自分の価値観を構築していきながら、流されない生き方、理想に向かった生き方をしていきたいなと思います。
そのためには、いろんなことを自分の頭で考えながら判断していく習慣を身に付けていきたいと思います。

昨日までの自分を少しでも成長させるということは、日々何らかのストレスや緊張感を自発的に自分自身に課すということのように思います。
自分からストレスに飛び込んでいく、ストレスから逃げない、ストレスの向こうにあるご褒美を可視化する、ということが成長へのヒントのような気がします。

昔の人は「若い時の苦労は買ってでもしろ!」といいことを言っていますが、何歳になっても苦労の向こうには大きなご褒美が待っているのだと思います。
ストレスがないことを喜ぶ生き方よりも、ストレスがあることを幸せだと思う生き方にこそ、大きな喜びや幸せが隠れているのだと思います。

「我に艱難辛苦(かんなんしんく)を与え賜え」(山中鹿之助)
彼だって本当は楽な人生が良かったのではないかと想像します。(たぶん!?)
しかし、こういうことを意識して生きていくことで、自分を鼓舞しながら生きていたのではないかと想像してしまいます。
男ならこんな言葉を言いながら生きてみたいですね。

必死に生きる

自分の生き方の中に、「必死に生きる」「目標を持って生きる」などがあります。
これは、余裕をもって生きたり、目標もなくなんとなく生きていたのでは、自分のことが嫌いになりそうな理由があります。

自分の中で、今の自分ではできないことに挑戦したり、自分の限界に挑戦したりしている時には、自分のことでいっぱいいっぱいなので、他人のことを批判したり、不平不満を言って自分のモチベーションを下げている余裕はありません。

明確な目標があるときには、今の自分にできることに全力を注ぐことになります。
一方、適当に生きていたり、目標がない時には、自分のことより他人のことが気になってきます。
そんな時は、他人のことを批判したり、何かに不平不満を言っている自分に気が付きます。

他人のことを批判することで、自分の心の安定を図っていたり、何かに不平不満を言うことで、自分は悪くない、悪いのは他人や社会だと被害者意識で自分を正当化しています。
未来を見て生きている人は、頑張れますが、過去を見ながら生きている人は、他人の批判や不平不満の毎日になってきます。

皆様の周りの人を分析してみてください。
いつも他人のことを批判している人は、自分が前進することよりも、他人が前進するのを邪魔することにエネルギーを注いでいる人ではないですか?

いつも不平不満を言っている人は、頑張っていない人が多くないですか?
自分が頑張りたくないから、すべてを他人や環境のせいにしていたり、頑張っている人の足を引っ張っている人ではないですか?

人間は、できる理由よりもできない理由を見つける方が簡単なのです。
他人のことばかり気になる場合には、他人の人生におせっかいを焼く暇があったら、自分の人生を輝かせていくべきだ、と自分を顧みるいいチャンスなのだと思います。

他人を批判したり、不平不満を口にしているときは、その時の自分が幸せでないという、危険信号のバロメーターのような気がします。
他人に意識が生き始めたら、「あっ、やばい!このままでは不幸へまっしぐらだ!」と気を付けないといけないなと思っています。

この考えは、相当強く意識して生きなければ、簡単に流されてしまうものです。
私もいつも流されています(笑)
強く意識して生きたとしても、今までの悪しき習慣で、改善できるまでに長い歳月が必要な気がします。

しかし、この習慣が改善されなければ、永遠に幸せはやってこないような気がします。
他人との比較の人生ではなく、自分の過去との比較、自分自身の中での成長を感じながら生きていきたいものです。

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