
仕事について
頼まれごとは試されごと
当クリニックでは、賞与などで社員を評価する際に、人間性や人格を評価していきたいと思っています。
仕事というのは、ただ言われたことをすることではありません。
誰かの役に立ったり、誰かに喜んでもらうためにするのが仕事です。
人が困っていたり、助けを求めていることをしていくのが仕事の本質です。
それなのに、自分のする仕事を勝手に狭めて、自分の専門のことしかしないような人は周りに悪い影響しか与えないので辞めてもらった方がいいとさえ思っています。
何かの仕事を頼むと、やろうともしないで、できない理由ばかり言ってくる人間がいると、「2度とこの人には仕事を頼むまい」ということになり、その人との信頼関係がその時点でとぎれてしまいます。
一方、「何でも言ってください。やりますから」というスタンスの人もいます。
そういう人は、多くの仕事を頼まれて一見損をしているように見えますが、目には見えない信用というものを獲得しているのです。
人間関係なんて、信頼関係が全てです。
人の評価とは、信頼できる人を高く評価します。
仕事をたくさんしている人が評価されるわけではなく、たくさん信頼されている人が高く評価されるのです。
ではどうすれば、人から信頼されるのか?
自分がやりたい仕事をただこなしている人が周りから高く評価されることはありません。
再度申します。
誰かの役に立ったり、誰かに喜んでもらうためにするのが仕事です。
人が困っていたり、助けを求めていることをしていくのが仕事の本質です。
「頼まれごとは試されごと」という言葉がありますが、人から何かを頼まれるということは、「この人は信用できる人間かどうか」を試されているのです。
頼む方だって、悪いなと思って頼んでいるのです。 頼まれた方が「面倒くさいな~」と思っていることは百も承知なのです。
それだからこそ、気持ちよく引き受けてくれることに感謝、感動して「この人は信用できる」ということになっていくのです。
頼まれたことを安易に断ることは、「私は信用されるに値しない人間です。」と言っていることと同じことなのです。
そういう人に限って、「周りは自分のことを正当に評価してくれていない。」と不平不満を並べた人生を歩んでいるのです。
信頼関係を作るには
22人の社員をまとめていくためには、トップとして社員に信用してもらえなければなりません。
トップに限らず、人から信用してもらうにはどうすればいいのでしょうか?
私の考える、人から信用してもらうために心掛けていることを挙げますと
- 言行を一致させる(一致させようと努力する)
- 嘘をつかない
- 自分の生き方、考え方を相手に伝える
- 人が嫌がることを進んで行う
- 社会や他人に流されないで自分の価値観を持って生きる
- 損得の価値観で生きない、思い、志の価値観で生きる
- 利己よりも利他を意識する
…………等
個々の方法論を挙げればきりがないと思いますが、一言でいえば「何気なく生きないで、理想に向かって生きる」姿を見せるということのように思います。
仕事に限らず、人間関係は信頼関係が全てです。
人から信頼してもらえる人間は、何をやってもうまくいくと思います。
逆に言うと、人から信頼してもらうということはそれぐらい難しいことなんだと思います。
涙の朝礼
ある日の朝礼で、話をしていて号泣してしまいました。
何か嬉しかったわけでも、悲しかったわけでもないのに、ただ感極まって涙があふれてきました。
朝礼前は自分の中ではプンプン怒っていたはずなのに、話し始めたら途中で理由も分からないまま号泣して話になりませんでした。
決して私は泣き上戸なわけではありません。ここ10年で人前で泣いたのは、自分の結婚式と妹の葬式以来かなと思い出しました。
結婚式では、妻の両親の気持ちを察すると涙が出てきて、妹の葬式では生前の妹がフラッシュバックしてきて可哀そうで号泣してしまいました。
その日の朝礼で涙が出てきたのは、自分の中でも理由が見当たらなくて、あえて言えば、自分のスタッフ教育に対する思いが強かったけど、現実とのギャップが悔しくて涙が出てきたとしか、自分の中でも説明がつかない涙でした。
さすがに、泣いた後は恥ずかしかったですが、後で「元気出してください、思いは伝わっています」というような事を言ってくれたスタッフがいて、やはり私の思いを分かってくれる社員もいるんだと実感できて、また違う涙が出そうでした。
最近の仕事の最大の喜びは、同じビジョンをもって成長していける人と一緒に働けることだと思っています。
ただ仕事をするだけでなく、同じビジョンを持って、仕事を通じて人として成長していける人と仕事ができる事ほど幸せなことはないと思っています。
多くの人がお金のために仕事していますが、私は同じビジョンを持った人と仕事をしていくことに喜びを感じたいと思っています。
どんな仕事をするかよりも、誰と仕事をするかという事が大切なのです。
医院の規模も売り上げも今は興味ありません。
ただ同じ思いの人と仕事がしたいのです。
私は今まで夢という事をあまり意識したことはありませんでしたが、今回の自分の涙で自分の夢は、「同じ思いをもって頑張れる人と一緒に仕事をしていくことなんだ」と気づきました。
自分の中で強く思っていなければ、人前で号泣なんてできないから、これは夢と呼んでいいんだと感じました。
まだまだ、スタッフ全員が私と同じビジョンで働いているわけではありませんが、それが自分の夢なのであれば、何年かかってもいつの日か、スタッフ全員が同じビジョンで仕事できる人でいっぱいにしたいなと再認識しました。
泣いたことは恥ずかしかったですが、この歳で熱くなれる夢があることがわかって嬉しかった面もあります。
その後何日か「人前で泣くことは恥ずかしいことだろうか?」と考えてしまいました。
朝礼で話をしていたら涙が出て止まらなかったですが、不思議と泣いてる自分の姿は隠さなかったです。
とっても不細工な顔で泣いていたと思うのですが、「これが私の思いです」という感じで、20人のスタッフに、どうぞご自由におがんでくださいという感覚だったのを覚えています。
仕事で泣ける、思いが強くて泣けるという事が自分の中で嬉しい部分でもありました。
嬉しくて泣く、悲しくて泣くという経験はありましたが、「思い」が強くて泣く、という経験は初めてだったので、自分の中では新鮮な部分がありました。
学生時代など、結構いい加減に生きてきたので、泣けるほど頑張ったことはありませんでした。
今は仕事に真剣で、もっと言えば社員教育に真剣で、心から良い人と一緒に働きたいと思っています。
高い目標をもって頑張っている人を育てることが、スタッフのためでもあり、患者様のためでもあると信じて疑いません。
それで辞めていく人が出ても仕方がないと思っています。
いろんな生き方があります。
楽をする生き方もあれば、頑張って成長していく生き方もあります。
僕は、仕事を通じて成長して生きていきたいと確信しました。
人は一人では生きていけません。どうしてもコミュニティーを作りたがります。
そのコミュニティが、同じビジョンを持った人だけで集まっていると考えただけでウキウキしてきます。
私の中では、幸せは真剣に生きる、必死に生きる先にしかないと思っています。
そういう思いの人と仕事をしていければ、仕事ほど楽しいものはないのではないかと思います。
自分らしく生きる
人生においての自分のテーマは「自分らしく生きる」です。
私は小さい頃から自己嫌悪の塊でした。自分の事が嫌いで自分を変えたいと思って色々と努力をしてきましたが、結局自分を変えることはできませんでした。
そして仕事を一生懸命していくうちに、多くの患者様や歯科医師の方から評価されるようになってきて、今のままの自分でいいのではないか、と思えるようになってきました。
それまでは「自分を変えるため」に色々と努力をしていましたが、今は「自分が自分らしくあるため」に頑張っていこうと思っています。
自分の好きなように生きる事は、わがままに生きる事とは違います。
自分の好きなように生きるためには、他人の言動に左右されないような努力はしていかないといけないと思っています。
例えば自分の意見を誰かに言う時に、それまでの言動で相手の反応は変わってきます。
「この人が言うのなら聞いてあげようかな」と思ってもらう為には、それまでにその人に言動の貯金をしておかなければいけません。
また、自分の好きなように生きる生き方が、周りの人の秩序を乱す行為であっては、いつかは必ず自分に戻ってきます。そうならない為には、普段から、自分の良心に正直に生きていなければいけません。
「自分らしく生きる」という事は、わがままに生きるという事ではなく、他人の目を気にして生きるのではなく、自分の良心にしたがって生きる、という事のように思います。
自分の良心に恥じない言動であれば、周りがどんな評価をしようと、堂々と生きていけばいいと思うのです。
しかし、他人は時々甘い評価をして許してくれますが、自分の良心に正直に生きるという事は自分で自分を律しなければいけないので、それなりの決意が必要なんだと思います。
自分らしく生きるためのスタートは、自分を好きになることです。
自分を好きになる為には、やはり自分の良心に恥じない生活をしていくことだと思います。
自分を好きになり為に、私は自分の靴を揃えたり、食事の前に「いただきます」というような小さな習慣を実行するようにしています。
そして、なるべく愚痴、不平不満は言わないように心がけています。
自分を好きになれるかどうかは、自分を変えるのではなく、自分を好きになれるような言動をしていくことだと思います。
自信を持つには
「自信を持っていきたい」
「自信ある言動をとりたい」
と思っていますが、私自身、ず~と自信のない生き方をしてきました。
自分に自信を持つことが生きていくテーマでもありました。
「自信ってなんだろう?」と考えてみました。
最近の自分は、以前よりは自信を持って生きているように感じています。
以前の自分と、今の自分は何が違うかといいますと、他人から受け入れられているという思い、安心感の違いではないかと思います。
「他人から受け入れられているという思い」は目で見ることはできません。
感じるしかないのです。
スタッフから患者様から家族から………自分以外の他人から受け入れられていると感じられれば、自分に自信が持てるのではないかと思います。
スタッフに受け入れられていると感じるためには、スタッフのためになりかしないといけません。
患者様に受け入れられていると感じるためには、患者様のために尽くさなければいけません。
家族やそのほかの人に対しても同じことです。
誰かのために思いを持って何かをすることで、自分は役立っている、必要とされているという思いが自信になるのではないかと思います。
自分に自信をもつ為には、私の中では利他の気持ちは切っても切れないものだと思っています。
自分が可愛いからこそ人のために尽くすことが大事なのだと思います。
「与えることは得ることである」という真理は自信をもつ為には特に大切なように思います。
3種類の悩み
私もよく悩みますが、悩みには3種類あるように思います。
- 自分で頑張れば解決できる悩み
- 時間が経てば解決する悩み
- 受け入れるしかない悩み
悩みを分類してどうするのと思われるかもしれませんが、どの悩みに入るかで自分のとるべき方向性が見えてくると思います。
1の悩みは自分が頑張れば解決する事なので、一番扱いやすい事だと思います。
例え頑張っても頑張っても思うような結果が出ないとしても、他人のせいにしても何も解決しないので、最終的にはその人が頑張るしかないのです。
2の悩みを1の悩みと勘違いして頑張ってしまう事が多々ありますが、いつの間にか悩みがなくなっていたという事は、この2番に当てはまります。
世の中の多くの悩みが1と2の中に入るのではないかと思っています。
生きていて一番辛いのが、3の受け入れるしかない悩みなのです。
3の典型は死、肉体や精神の障害や病、人間関係などです。
私は、目に見えない部分の人間が生きている意味は、その人の魂のレベルを上げる事にあると信じていますので、魂のレベルを上げる意味では、とても難しい事ですが、3を受け入れる事が生きている最大の意味でもあると思います。
私にはまだ深刻な3の悩みは少ないですが、多くの方が3と闘っていると思うと、1や2で不平不満を言う事は罰が当たると思うようにしています。
今の私は、多くの1と2の悩みを、ものともしない考え方を身につけて、来るべき3の悩みにも対応できる人間になりたいと思っています。
3を受け入れている人を見ると、そういう人には神様に一歩近付いているようなオーラを感じてしまいます。
3を受け入れられる人にとっては、1や2の悩みは些細な事に思ってくるのではないかと思います。
仕事で嫌な事が起きた時、どう考えますか?
- 出きれば嫌な事を我慢してまで仕事したくない
- 仕事はお金という対価をいただいているから嫌な事も我慢するべきだ。
- 嫌な事は何かを学ぶために起きていると思うので前向きに受け止めたい
貴方ならどの考え方を支持しますか?
多くの人が2を支持するのではないでしょうか?
3が理想ではあるが、なかなかそうは考えにくいというのが現状ではないでしょうか?
今の私なら、これら3つはすべて正解だと思っています。
ただ、考える人の成長度合いがどのレベルにあるかという事で、正解が違ってくると思います。
まずは仕事が辛い、耐えるだけの段階の人では、2のように考えて自分を納得させるしかないのではないでしょうか?
仕事に喜びを見いだせないレベルの人は、とにかく何でもいいから仕事のやりがい、楽しみを見つけることが先決です。
しかし、いつまでもこのレベルで停滞していますと、「お金なんかいらないからこんな仕事は辞めよう」とか「同じお金を稼ぐのであれば、もっと楽な方法があるのではないか」とか考えるようになってきます。
そういう、逃避の考えでは、仕事する事の本質は見出せないでしょう。
このレベルから脱せない人は「何の為に働くのか」、「仕事する意味は何なのか」を真剣に考えないといけない時期かもしれません。
真剣になって考え、行動すれば必ず何かに気付きます。
そうして、仕事に生きがいや働く意味を見つけた人には、嫌な事を3のように考える下地ができていますので、2から3への移行が可能だと思います。
3の様に考えられる事は、訓練と習慣です。
初めはそんな考え方は無理だと思っていても、習慣になれば3のように考えることでメリットが一番多いのは自分だと実感できれば、3のように考えられるのが普通になってきます。
そして、3のように考えられるようになってきたら、受け止め方には問題がないので、初めて1のように考える資格が出来るのです。
1の考え方は一見逃避のように聞こえますが、3のように考えられる人には、さらに自分が成長する為には、自分が好きな事に集中する事がより早い成長を加速してくれるのです。
私自身、3の考え方が習慣化していないので、まだ1のように考える資格がないですが、一日も早く1のように、自分が好きなことだけに集中できる立場になりたいです。
もちろん仕事を辞めて趣味をするわけではありません。仕事の中で、自分の才能、やりたい事を最大限に活かせる仕事内容に特化していきたいと考えています。
まだはっきりとは分かりませんが、社員など人を育てる事が私の天職のように感じることがありますが、3を習慣化しながらゆっくり自分を見つめ直していこうと思っています。
1のように考えたい人は、それを目標に頑張ることもできます。
1は悪い考え方ではないのです。ただ、1になる為には、23の考え方を通過していく必要があるだけなのです。
1に興味があるから頑張る、という人がいてもいいのではないでしょうか?
出来事に意味はない
私の好きな言葉に「出来事自体には意味はない、その出来事をプラスに受けとめるかマイナスに受け止めるか2種類の人間がいるだけだ」という文章があります。
多くの人は「いい事、悪い事」の2種類が存在していると考えますが、そうではなく、受け手の考え方次第で出来事の意味が違ってくるのだということです。
出来事だけでなく言葉も同じです。同じ言葉に対しても、悪く受け取る人とそうでない人がいますが、全ての事を悪く受け取るような人間とは話をしていても疲れます。
以前ある人に「真面目すぎるとストレスがたまるよ」とアドバイスしたら「真面目で何が悪いんだよ」と反論され、この人は全てを悪く受け取る人間なんだと気づき、差しさわりのない会話以外はなるべく避けるようになりました。
プラス思考であることが成功には不可欠だといわれますが、プラス思考であり続けられること自体が人生の最終目的であるようにさえ感じます。
出来事や他人の言動を悪く受け止める人間には、好運も逃げていきます。
それは自分が不幸を呼び寄せているのですから自業自得です。
一方、他人から不愉快な思いをさせられた場合も、一刻も早く不幸のスパイラルから脱出する考え方を身につけることが必要です。
自分の人生は他人に左右されないと決めたら、常に幸せを感じられる考え方を身につけたもの勝ちなのです。
感情が動くと行動する
私は「スタッフのモチベーションアップセミナー」というセミナーを年に2度行っています。
患者様に満足していただく為には、院長だけでなくスタッフにも頑張ってもらわなければ無理なので、どうすればスタッフは頑張って働いてくれるかという事を試行錯誤して、その結論をセミナーでお話させていただいています。
スタッフにモチベーションをアップしてもらうヒントは、まずは、自分がどういう時にモチベーションがアップするかを知ることが大切になってきます。
院長はやる気がないのに、スタッフだけ頑張る事はあり得ないのです。
院長自身が、こういう風に考えて日々気持ちを鼓舞しているという事を、スタッフの立場に置き換えてアドバイスする事で、スタッフにも気づきがあれば行動してくれるのです。
まずは自分がどうすれば行動するかという事を知ることから全てが始まるのです。
人が行動するには、感情が動く事が大切になってきます。
感情が動くから行動に移すのです。
感情の中にも喜怒哀楽と色々ありますが、いい意味の感情の動きで言えば感動することです。
感動するから心が動いて、何らかの行動を起こすのです。
映画を見て感動して涙を流し、その後の生き方を考え直す事もあるでしょう。
行動のヒントは感動なのです。
同じ映画を見ても感動する人と感動しない人がいるように、感じ方は人によって違います。感動しやすい人は行動しやすい人ともいえます。
スタッフに感動してもらうには、自分が感動したような話はストックしておいて、継続的に話すようにしています。
話以上に、自分の行動がスタッフの感動を促せれば理想ですが、自分もまだまだ成長途中なので、そのレベルには達していないので、スタッフに「一緒に成長しようよ」というスタンスで、ミーティングで自分が感動した話をさせてもらっています。
感動にも大きい感動、中ぐらいの感動、小さい感動とありますが、大きい感動に出会う事はめったにないので、小さい感動で小さい行動を積み重ねて、少しづつでも成長していけることを目指しています。
とはいっても、大人になってくると、心で感じる力よりも頭で考える力の方が勝ってしまうので、できるだけ子供心に戻るように意識しています。
「人が行動するヒントは感動にあり」という事は私の中では黄金の法則なのです。
思い、志
私の生きているテーマの1つは、「思い、志」の確立です。
人間の価値は「思い、志」ではないかと思うようになってきました。
何のために頑張るのか、その行為は誰の為にやっているのか、自分の信念は何か、自分は何を基準に生きているのか、……
全てのことは「思い、志」で決まるように思います。
仕事で悩んだ時にも、頭で考えないで心、思いを確かめるようにしています。
思いがあれば技術は後からついてきます
頭で考えたことは失敗する、心で感じたことはやり遂げられる
とはいっても、思い、志を自分の中に根付かせるためには時間と根気が必要です。
日々小さなことを真剣に向かい合うことでしか志は根付いてくれないと思っています。
思い、志を高めてくれそうなDVDと本を紹介いたします。
DVDでは「沈まぬ太陽」です。
渡辺兼役のサラリーマンに感動しました。これからの時代にはこういう人が必要です。
世渡り上手、テクニックの時代は終わろうとしています。
今は競争の激しい、厳しい時代ですが、逆に本物だけが生き残れる時代になってきたと思っています。
本物と偽者の違いは、「思い、志」の違いだと思います。
それは目に見えません。心で感じるしかありません。
「思い、志」のある人間の周りには同じような人間が集まります。
偽者の周りには、偽者が集まります。
こういう時代だからこそ、自分の為でなく利他の精神が評価されるのだと確信しています。
「サムライスピリット」(幻冬舎)にも「思い、志」の大切さが満載です。
「思い、志」はすぐには定着しないし、目に見えた利益は無いかもしれませんが、人間の幸せには不可欠のものだと確信しています。
私の人生のテーマは、損得の基準から、思い、志の基準で生きると事に転換していくことです。
「沈まぬ太陽」「サムライスピリット」2つとも自分を鼓舞してくれる作品です。
私の夢、目標は、クリニックのスタッフも全員「思い、志」の高い人間で一杯にしていくことです。
そのためには、まずはトップの自分の「思い、志」を高くしていかなければなりません。
何のために頑張るか
最近、自分のことを学校の先生だと勘違いすることがあります。
というか、自分のことを意識的に教師だと思おうとしています。
社員も20名を超えますと、一人一人の社員が自分の力を発揮してくれなくては患者様の満足を得ることはできません。
私一人の能力なんてしれたものです。
社員に成長してもらい、自ら行動する自立型人間になってもらうにはどうすればいいかをいつも考えています。
私が野球部の監督だと仮定すれば、本気で甲子園を目指したいと思っていても、生徒は野球部に所属することで楽しく野球をやっていきたい、と思っていれば、このギャップを埋めていかなければなりません。
甲子園を目指したい、日本一をめざしたいと思うのは監督の勝手ですが、甲子園を目指すことで、生徒たちにどんなメリットがあるのか、頑張ることでどんな未来が待っているのかを根気よく伝えていかなくてはなりません。
甲子園を目指すのは生徒のためだと信じて、夢を語らなければ、どんな生徒でも楽な生活を望むでしょう。
大変だけど、それ以上に得るものがあると思った生徒は、本気で甲子園を目指すでしょう。
頑張る人と頑張らない人の違いは、人間性の問題ではなく、努力の向こうに何があるかが見えているか見えていないかの違いだと思っています。
しかし、ほとんどの人は努力の向こうの喜びが見えないので、甲子園を目指すよりは、学生生活をエンジョイしたいと思っていると思います。
甲子園常連校には、初めから努力の向こうにあるものが見えている人が集まってきます。
その移行期が大変なんだと思います。
甲子園を目指すなんて聞いてないよ、そんなことは自分の夢ではないよという人がほとんどの場合に、1人でも多くの人に甲子園を目指す意味と価値を分かってもらわなければなりません。
そんなことを何年も根気強く続けた結果が、甲子園の常連校になれるのではないかと思っています。
昔、スクールウォーズという高校ラグビーの花園を目指す実話のドラマがありましたが、山口先生のような情熱を持った人間になりたいなと思って、山口先生の講演CDを何度も聞いています。
それにしても、山口先生の生徒を思う情熱は熱すぎて、凡人にはやけどしそうです。(笑)
甲子園に出ることが尊いのではなく、甲子園を目指して、普通ならできない努力ができる人間になることで、その後の人生にプラスになるのではないかと信じています。
まずは監督の自分が、本気で甲子園を目指すような生き方考え方をしていかなければと思っています。
イノベーション
歯科医院を経営していて、20人以上の社員がいますと、出ていく経費も当然多くなってきます。
良いサービスを行っていくためには、いい人材の確保は不可欠になってきます。
良い人材は欲しいが、少数精鋭で社員数は極力抑えないと今のような厳しい時代の経営は難しいです。
こういう厳しい経済の状況下においては、ライバルは周りの歯科医院ではなく、患者様の期待に添う努力がライバルになってきます。
他社との「競争から、自社での「精進が生き残る道になってきます。
「周りが行っているからする」というのでは、今の規模では経営的に追いつきません。
当クリニックがありふれた歯科医院なら、わざわざ多くの歯科医院の中から選んで来ていただけないからです。
常に「周りがやっていないからスタートする。」
というスタンスで、業界に先んじて何かを行っていかなければ生き残っていけません。
よく言う、イノベーションというのは、周りに先駆けて行っていくものですが、そのヒントはお客様が持ってきてくれます。
歯科医院でいえば、患者様が望まれていて、「そんなことできないよ~」ということを行っていくことがイノベーションにつながってきます。
「業界の常識、お客様の非常識」をお互いの常識に変えていくことがイノベーションにつながります。
「言うは易し、行うは難し」
できないことをできるようにしていくことが経営者、トップの仕事ですから、患者様のお声に真摯に耳を傾けていくところに、新しいヒントがあると信じています。
患者様やスタッフがクリニックのレベルを上げていくためのヒントを持っていても、トップがその言葉や言動を簡単に見落としていたのでは、何も改善していきません。
そのためには、人間的に謙虚にプラス思考で生きていかなければいけないと思って精進したいと思っています。
イノベーションについて(Wikipediaより)
物事の「新機軸」「新しい切り口」「新しい捉え方」「新しい活用法」(を創造する行為)のこと。新しい技術の発明だけではなく、新しいアイデアから社会的意義のある新たな価値を創造し、社会的に大きな変化をもたらす自発的な人・組織・社会の幅広い変革である。つまり、それまでのモノ、仕組みなどに対して、全く新しい技術や考え方を取り入れて新たな価値を生み出し、社会的に大きな変化を起こすことを指す。
強制VS気付き
人は他人から強制されると反発するものです。
人を変えようとすれば必ず反発されます。
当クリニックには22人の社員がいますが、私の中で、こうなって欲しいという願望はあります。
しかし、スタッフを変えようとすれば必ず反発されます。
私は結婚していますので、妻や子供と生活しています。
家族とはいえ自分以外の他人と生活していれば「あーして欲しい、こうして欲しい」ということは当然あります。
子供でさえ反発するのですから、大人の反発心は子供の比ではないでしょう。
妻とのことなら自分が我慢すれば解決する問題であれば、相手を変えようとするよりは自分が我慢して波風を立てないようにしています。
相手を変えようとすれば反発されるだけなので、意識的に必要最小限しか言わないようにしています。
しかし、子供には将来自立させるために親として言わなければいけないことがあります。
いくら子供とはいえ「人は他人から強制されると反発する」という人間の性質は変えられませんので、できる事なら自分で気づかせたいと思っています。
(現実的にはほとんどの事が強制になってしまいますが……)
社員にしても、上から目線で命令されれば、素直に受け入れられないことも多くでて来るので、できるだけ自分で気づいてもらいたいという気持ちでミーティングを行っています。
強制されたことは相手のために嫌々してあげている行動になりますが、自分で気づいたことは自分のための行動になります。
勉強も同じです。
強制されてしている勉強は、身に付きませんが、自分の意志でする勉強は自分のスキルになってきます。
本人は気付かせようとしているつもりでも、相手には強制されているように受け取られることもあるでしょう。それは、相手との信頼関係がポイントになってきます。
信頼関係がない人間に何を言っても強制になります。
信頼関係ができていれば、多少の強制的な言い方もいい方に受け止めてくれて、何かに気付いてくれることもあります。
尊敬できる人の言うことなら聞く耳を持てますが、軽蔑している人からどんな立派なことを聞いても受け入れることはできません。
相手に何かを言う時には、相手との信頼関係を考慮して言い方や、言う内容を考えないと「ぬかに釘、馬の耳に念仏」になってしまうでしょう。
理想的には、社員や子供に対に対して、強制ではなく、たくさん気づいてもらうための一番の近道は、尊敬してもらえる関係になることだと思います。
頑張る理由
親から「勉強しなさい!」と言われて勉強する子供なんているのだろうか?
「勉強しなさい」と言われてするのは勉強している「ふり」だけなのだ。
大人も子供も、人から「やれ!」と言われて本気でやるはずがないのだ、怒られたくないから「ふり」をしているだけだ。
何かを本気でしている時は、必ず自分から「やりたい」と思ったことだけなのだ。
少なくとも「嫌だな」と思いながら、いいパフォーマンスができるはずがない。
大人だって一生懸命仕事した方がいいのは頭では分かっているけど、実際には多くの人はただ普通に仕事しているだけなのだ。
子供だって頭では勉強した方がいいのは分かっているのだと思う。……たぶん(笑)
大人も子供も頑張るためには、頑張る理由が必要なのだ。
「何のために頑張るのか?」その理由がある人は、人から言われなくても自分から進んで頑張るのだ。
本を読むことひとつとっても、その本を読む理由を持っている人となんとなく読む人とでは得られる結果が大きく違ってくるのだ。
「何をするか」よりも「何のためにするか」の方が何倍も大切なことに気づいてきた。
でも「何のためにするのか」の答えは、自分で考えるしかないから簡単ではない。
簡単ではないからこそ、その答えが自分にフィットした時に、自分の思っていた力以上の力が発揮されるのだと思います。
「何のために」の追求は頑張るエネルギーなのです。
欲望VSビジョン
お金を儲けることは人間の欲望を追求していることに繋がるので、多くの人は快く思いません。
物欲、金銭欲、名誉欲、性欲、出世欲・・・・・・人間の欲望は抑える気持ちが尊いのであって、欲望を追及する人間は人間的に卑しい人間だと考えられています。
欲望を追及する人間のタイプとして、自分のことだけを考える利己的人間がイメージされます。
昔の修行僧はそういう欲望を打ち消そうと日々努力を重ねてきました。
しかし、そういう煩悩を打ち消したいということも欲望の一つではないかと言う人もいます。
結論からいいますと、多くの凡人にとって人間の欲望を打ち消すことは不可能です。打ち消そうと意識すればするほど脳裏から離れなくなってしまいます。
欲望を完全に消すことができないのであれば、それをプラスのエネルギーに変えていけばいいのです。
お金や物や名誉など欲しいものがあるのであれば、それを行動するエネルギーに変えていけばいいのです。
崇高なことを考えていても何も行動しない人よりも、動機は不純であっても結果を出しているうちに動機も更正されてくるものなのです。
自分の中の低俗な欲求を素直に認め、それを自分のエネルギーとして行動し、いい結果が出たらそのことに感謝していくうちに、徐々に人間としての本能である「人の役に立ちたい」という人間としての使命感などに気付いていくものなのです。
そのためには、自分の欲望をきちんと見つめることがスタートになってくる場合が少なくないのです。
人間は実績を積むにつれて人間としても成長していくものなのです。
若い時は特に、まずは、利己からスタートしてもいいのです。
利己を追求していくことに疑問を感じたり、疲れてきたりした時に、自然と利他に目を向けるようになるのだと思います。
ビジョンとは欲望に使命感、大義が付いたものをビジョンというのだと思います。
利己だけのものを欲望といい、利己に利他が混ざったものが、共感してくれる他人を巻き込めるビジョンに代わってくるのだと思います。











